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認知言語学

 「関係」を紐とこうとすると、認知言語学で言う「カテゴリ」という概念を理解する必要があると思います。koppeさんの関係が良く分からないという悩みも、それである程度解決できるのではないでしょうか。 まず、古典的カテゴリー観というものがあります。これは、koppeさんが前回書いた関係を紐解くときに使った関係を中心に考える考え方です。まず、これについて整理してみましょう。古典的カテゴリ観とは、  ・あるカテゴリに属するものは、その共通属性を明言できること。たとえば、三角形など。  次に言われだしたカテゴリ観にプロトタイプカテゴリ観というものがあります。これは、  ・共通属性が明言できないものは、そのカテゴリの典型的なタイプがあり、その周辺にいくほど、   そのカテゴリに含まれるか否かの判断が個人ごとに異なる。   たとえば鳥。ハトやスズメはプロトタイプ。こうもりやペンギンはカテゴリの周辺に位置する。  その次に、スキーマカテゴリ観というものが考え出され、さらに、プロトタイプカテゴリ観とそのスキーマカテゴリを融合させたネットワークカテゴリ観というのが最新の考え方となっているようです。  このあたりは「認知文法の新展開(早瀬尚子、堀田優子 共著)」という本を読んでいただければよくわかるのではないかと思いますが、ここでは、古典カテゴリ観とプロトタイプカテゴリ観の話い留めておきます。  話は、もとに戻りますが、koppeさんが悩んでいたのはこの古典カテゴリ観での限界で大勢の人が悩まれたのと同じ部類の悩みなのではないでしょうか? これ以上記事を書くと長くなるのでいったん筆を置きますが、中途半端な内容になってしまうので次回も私のほうで書きます。

2種類の「関係」

 「関係とはなにか?」ときましたか。改めて聞かれるとよく分からないですね。mokurenさんが調べた辞書の説明から推察すると、何かと別の何かの間にある見えない線のようななんらかの意味のあるつながり、なのでしょうか。余計分からなくなりました。でも、この特定の関係を手繰っていくことが、外枠を見つけるヒントになるような気がします。  そこで、もう少し「関係」を紐解くために「関係」にはどんなものがあるのか具体例をあげてみます。親子関係、友達関係、敵対関係、類似関係、前後関係、因果関係、包含関係、、、、うーん、きりがなさそうです。仕方がないので具体例を挙げるのはあきらめてとりあえず挙げてみた例をじっと眺めて見ましょう。すると、これらの関係は大きく2つに分けられるような気がします。  その違いを明確にするために「対象Aと対象Bの間に関係Xがあって、その関係において対象Aにとって対象Bはbであり、対象Bにとって対象Aはaである」場合、仮に「(対象A)[a]-<関係X>-[b](対象B)」と表現することにします。具体的な関係をこの表現方法で表現してみましょう。 (1)徳川家康と徳川秀忠との親子関係 の場合 これを詳しく説明すると「徳川家康と徳川秀忠の間に親子関係があって、徳川家康にとって徳川秀忠は子、徳川秀忠にとって徳川家康は親である」なので、この関係は「(徳川家康)[親]-<親子関係>-[子](徳川秀忠)」と表現できます。 (2)花子さんと太郎さんとの友達関係 の場合 これを詳しく説明すると「花子さんと太郎さんの間に友達関係があって、花子さんにとって太郎さんは友達、太郎さんにとっても花子さんは友達である」なので、この関係は「(花子さん)[友達]-<友達関係>-[友達](太郎さん)」と表現できます。  (1)と(2)を比較すると、<○○関係>の右と左にある内容が(1)では違いますが、(2)は同じです。そのため(1)では左右の(対象)を入れ替えると意味が変わりますが、(2)は入れ替えても意味が変わりません。したがって、(1)は「向きのある関係」、(2)は「向きのない関係」と言えるのではないでしょうか。このような関係をある対象から次々にたどっていくと対象の集合体ができますが、(1)は向きがあるので関係をたどっていくときの広がり方がたとえば家系図のよう

そもそも関係ってなに?

 分解の視点で考えるとき、分解すべき対象の全体は分かっている。しかし、関係の視点で考えるとき、ある視点からその周りにも視野を広げていくが、一体それをどこまで広げれば全体になるのか分からない。だから、分解より関係のほうが難しい。koppeさんは、そう言いたいのですよね。  確かにそうですね。関係の視点はズームアウトですから、どこまでその視野をひろげていいのかわからなくなりますね。でも、分解の視点の場合はどうでしょう。これはズームインですから、どこまで分解したらよいのかわからなくなります。  しかしながら、MECEで言われている「モレなく、ダブリなく」の「モレなく」を考えた場合、全体が分からなければ決して「モレなし」とはいえませんね。逆に、分解の場合は全体がわかっていますから、モレがどうして埋められない状況になれば、そのレベルの分解をやめてしまえば「モレなし」の状態が作れます(この分解レベルのあきらめは別の意味で問題ですが、ここでその話をすると話がややこしくなるため今回は触れずにおきます)。これはあまりにも当たり前のことですね。その当たり前さに盲点が存在しているのではないでしょうか。  この問題に対処する方法は私なりにあると思っています。しかし、その話へ行く前に、そもそも、普段あまりにも当たり前に使われ、改めてその意味を問われるとなんだか分からない?と思われるこの「関係」というものは何か、それを紐解く必要があると思います。  ちなみに、「関係」を辞書(goo辞書:三省堂提供「大辞林 第二版」)で引くと かんけい【関係】 (名)スル (1)物事の間に何らかのかかわりがあること。また、そのかかわり。 「その件には―がない」「収賄事件に―する」「密接な―がある」「よからぬ輩(やから)と―をもつ」「―を絶つ」 (2)相互のかかわり具合。「先輩後輩の―」「対等な―」「敵対―」 (3)(名詞の下に付いて)それに関すること。 「営業―の仕事」「台風―のニュース」 (4)男女のまじわり。 「人妻と―をもつ」 かかわり【係わり/関わり】 (1)かかわること。関係。つながり。 「事件とは何の―もない」「その事には私も多少の―がある」 (2)つながりのある者。関係者。 つながり【繋がり】 (1)関係。関連。 「医学と生物学とは密接な―がある」 (2)血縁関係。きずな。 「親子の―」 結局、

「関係」の難しさ

 mokurenさん、ここまでの議論のあらすじをうまくまとめてもらって助かりました。今後も定期的にお願いします。  さて、前回、「関係」と「分解」と「具体例」の中で、私にとって一番簡単なのは「具体例」だと書きました。では、私にとって一番難しいのはどれだと思いますか?実は「関係」なんです。  「関係」と「分解」が「遠ざかってみる」と「近づいてみる」だとすると、方向が正反対なだけで、あとはほとんど同じだと想定することが出来ます。  実際、4月8日の記事で「分解」「関係」のそれぞれについてMECE的分解で明確化する手順を検討しましたが、分析結果だけを比較すると、その難しさにはあまり違いがないように思えます。しかし、私にとっては明らかに「関係」のほうが難しいと感じるのです。それはなぜでしょうか?「分解」は、分解する対象が外枠(つまり「全体と部分とそれ以外」の「全体」)になるので、その外枠の中にある具体例を挙げて分析することが出来ます。ところが、私が「関係」を考えるとき、分析のスタート時点では外枠が決まっていないようなのです。  4月8日の分析結果では「MECEに関するWebサイトの中で」「自分たちのサイトの位置づけを明確化する」となっていて、あたかも最初から外枠が決まっているように書いています。しかし、実は分析の最初の動機は「Webサイトの中で」「自分たちのサイトの位置づけを明確にしたい」だったのです。「Webサイトの中で」も外枠といえば外枠なのですが、この外枠ではあまりにも範囲が広すぎてその中に存在するものは千差万別、どこから分析の手をつけていいかわかりません。私の頭の中では、まるで「軽井沢」の位置づけを明確化するために「世界地図」を使って分析しようとするようなものです。したがって、この状態から何とかして目的に対して現実的なより絞り込まれた「MECEに関するWebサイト」という外枠を見つけ出さなければ「関係」を分析することができません。この「外枠を見つける」という部分が、私にとって難しいのだと思います。  では、なぜ「外枠を見つける」のが難しいのでしょう?適切な「外枠」は「Webサイト」と「自分たちのサイト」の間にあるはずです。しかし、「Webサイト」と「自分たちのサイト」の間にはそれこそ無数の「外枠」の候補が存在します。たとえば、テーブルの上においてある円柱を遠ざかって

「関係と分解と具体例」とMECEの関係

 「遠ざかってみる」「近づいてみる」「触ってみる」ですか。さすがkoppeさんこの発想は最高です。前回の記事で、ある物事を理解するための基本的なテンプレートとして「関係と分解と具体例」を提起させてもらいましたが、それをこのように言い換えるとは!  ここまで、MECEのはなしから、一気に、この「関係と分解と具体例」の話を進めてしまったので、ここで、一度、MECEとの関係をおさらいしておきましょう。  MECEは一般的に、ロジカルシンキングにおけるロジックツリー分解でのモレ・ダブリのチェックをするための思考法として紹介されています。我々は、もともと、わかるとは何か? それは分ける=分かるではないか? そうであるならば、その分けるときの代表的な思考法としてMECEがあるのではないか? という観点でそれを探求してきました。  しかし、それを議論している最中に、物事を理解することは、MECE的分解だけではなく、「関係」というものと「具体例」と言うものがさらにそこに必要ではないのか? という新たな仮説に行き着いたわけです。  その意味で、「関係と分解と具体例」というテンプレートの中の「分解」にMECEの思考が必要となると位置づけられます。  また、まだ、触れていませんが一般的にMECEの思考において「So What? / Why So?」というチェック方法でその分け方が正しいかの検証を行うことも同時に提唱されています。「So What? / Why So?」については、後ほど検討することになると思いますが、恐らく「関係」に関わってくるところではないかと思っています。 そこに、具体例=触ってみるという新たな考えが付け加えられたことになります。  これが、これから議論を進める「関係と分解と具体例」とMECEの関係になると思います。

具体例の挙げ方

 関係と分解と具体例ですか。それぞれ「遠ざかってみる」「近づいてみる」「触ってみる」ってな感じですかね。  この3つの中では、具体例が一番あげやすいし、聞くほうもとっつきやすい。初心者向きの分かる方法といえるのではないでしょうか。特に私の場合は具体例がないと、頭のなかでイメージが実体化しないので理解するのが難しいのです。そのせいで、私の説明には具体例が多くなるのかもしれません。  たとえば、私は4年前にデジカメを始めたのですが、露出がさっぱり理解できませんでした。F値だ、ISOだ、シャッタースピードだと、難しい言葉がてんこ盛りで、それぞれの説明を読んでもちっとも分かった気がしないのです。そこでインタネットでいろいろ探して、やっとのことで理解した結果をまとめたのがこのページです。どうでしょう?分かりやすい説明になっているでしょうか?この説明は、露出に関する機能それぞれを何かにたとえるだけでなく、露出に関する機能全体をまるごと水道にたとえているところがミソだと思います。ということで、具体例の挙げ方にもいろいろありそうですね。

関係と分解と具体例

 関係と分解まできて、最後に「たとえば」ときましたか、確かに関係と分解、言い換えるとズームアウトとズームインですが、これだけでは分かったというには少しつらいですね。  いくら関係や分解を述べようが、それが経験にもとづくことなしに理解することは難しいのだと思います。「たとえば」の後には、何かすでに分かっているものと思われるものが述べられます。そして、それは、それそのもの場合や、それそのものではなくても類似性のあるものの場合があるのでしょう。それが、「たとえば」の正体ではないのでしょうか? その意味で、「たとえば」は具体例を示していることになります。  これで、分かるの基本形「関係と分解と具体例」が完成したことになります。関係と分解で部分とそれらの部分が全体や他の部分にたいしてどのような関係にあるのか、そしてそれは、すでに経験値として知っているもののどれに近いのか。これが「関係と分解と具体例」での分かり方のテンプレートとなります。  このことを身近な国語辞典で調べてみましょう。ここでは割愛しますが、国語辞典での言葉の定義は、関係や分解や具体例のいずれか、またはその複合で定義されていることが分かります。  これからしばらくのお題を「関係と分解と具体例」にしたいと思います。koppeさん、話を強引に進めましたが引き続きよろしくお願いします。

第3のより良く分かる方法は?

 つまり、対象をよりよく分かる方法には、 対象を「分解」して中身を明確にする方法と、対象とその周りとの「関係」を明確にする方法があるということですね。でも、「分解」と「関係」だけで分かるのでしょうか?たとえばMECEの説明でよく取り上げられる「マーケティングの4P」は「プレイス」、「プライス」、「プロダクト」、「プロモーション」に分解しますが、結局分解しただけではそれぞれが分かったような分からないような感じですよね。  そこで、第3の「対象をよりよく分かる方法」を求めて、このブログの過去の記事を読み返してみました。すると、ややこしい説明には必ずと言っていいほど「たとえば」という言葉を使っていることに気がつきました。それによく似た言葉で「たとえると」や「たとえて言えば」という言葉も良く使っています。「たとえば」や「たとえると」で取り上げているものは誰もが実物を良く知っていそうなものばかりです。そういえば「話がうまい人はたとえるのが上手」というのもよく聞きます。  というわけで、第3の「対象をよりよく分かる方法」は「たとえば」または「たとえると」なのではないかと思いますがmokurenさんはどう思いますか?

関係と分解

 ズームインとズームアウト、面白い表現ですね。じゃあ、MECEの話に続くかは別にしてそれを掘り下げてみましょう。  まず、ズームインです。これは、より全体を見ている状態で特定のところに着目してより細かい部分を拡大してみることになります。当たり前ですよね。でも、これって、ある範囲を全体としたときの特定の部分に着目するということですよね。ですから、「全体と部分とそれ以外」の思考の中において、全体を分解して部分に着目することに当たります。  次に、ズームアウトです。これは、ズームインの逆です。これも当たり前です。「全体と部分とそれ以外」の思考の中において、特定の部分に着目している状態から、そのまわりの部分を見ることになります。 これは、ズームインが分解とセットであるのにたいして、何とセットになるのでしょう。分解の反対だから合成とでも言うのでしょうか。でも、何かイメージが違いますね。  特定の部分が見えていた状態から、他の部分も見えてくるようになります。ところが、この他の部分はすでに見ていたたの部分とまったく関係がないのでしょうか? そうではないですよね。ある全体という枠組みの中にある部分と部分ですから、その間には何か関係が存在するはずです。  そうです、ズームアウトは関係とセットになるのではないのでしょうか?

ズームインとズームアウト

 前回は「MECEと目的」と「MECEの目的」のごろが気に入ってしまって、どうしても書きたくなってしまったので横道にそれてしまいました。  実は、2006年04月08日の記事でもう一つ気になっていることがあります。(1)「MECEに関するWebページの傾向を調べる」ための分類と(2)「MECEに関するWebページにおける自分たちのサイトの位置づけを明確化する」ために分類がよく似ているのに違うところがとても面白いなと思ったのです。  この二つをよくよく比べてみると、「詳しく知りたい対象」がちょっと違います。(1)は、「Webページ全体の傾向」ですが、(2)は「自分たちのサイトの位置づけ」です。それをもっと詳しく知るために分類をしていて、分類した結果はよく似ているのですが、よく考えてみると、「詳しく知りたい対象」から見るとまったく逆のことをしていることに気がつきます。  (1)は「Webページ全体」をアップにして、今まで見えなかった境界線が見えるようにする感じです。(2)は「自分たちのサイト」がアップになっている状態から、カメラをぐっと遠ざけて、全体が見えるようにして、全体の中での「自分たちのサイト」の場所を見えるようにする感じです。  このことから、より詳しく知るための方法には、(1)ズームインする方法と、(2)ズームアウトする方法があるようですが、これについてはいかがでしょう?

パス1

koppeさん、話をそらしましたね。パスしますので、元にもどしてください。

MECEの目的

 「目的」つながりで、MECEそのものの目的を少し考えてみたいと思います。  前回、MECEは見えない「モレ」を見つける手段だというお話をしましたが、そもそも「モレ」を見つける目的は何でしょう?それには大きく2つの目的があるのではないかと思います。  1つは「モレていると困るものを見つける」です。たとえば見積もりの項目の洗い出し。これがモレていると後で予期しない費用が発生して困ることになります。つまり、モレないように、モレているところを見つけ出して、そのモレをふさぐ。これは、敵の攻撃を防ぐために、守りを固めるのに似ています。  もう一つは「モレているからこそ得するものを見つける」です。これは前回のWebページの分類に相当します。すなわち、自分たちのサイトが既存のサイトの分類からモレていると他のサイトとの差別化ができて、自分たちのサイトの存在意義が大きくなるというものです。この場合、ある領域の中でモレを見つけ出し、モレているところにフォーカスして積極的に狙っていく。これは、敵の守りが薄いところを狙って、攻撃するのに似ています。  ということで、前者を「守りのMECE」、後者を「攻めのMECE」と呼んではどうかと思いますが、mokurenさんのご意見はいかが?

MECEと目的

 いよいよ目的が出てきましたね。特にビジネスにおけるMECEの思考法には、まずこの目的が必要と思います。そこでせっかく目的が出てきたので、それをもう少し掘り下げてみることにしょう。  まず、部分になりそうなものを1つ挙げます。次に、それ以外を挙げてみます。そして、この二つですべてが言い表せる全体を表現してみます。たとえば「前」とするとそれ以外は「後」となります。前と後で全体をカバーしていますね。逆に言うと、「全体」には「前」と「後」がある、と言えます。ところが、この分け方だと目的は必要ありませんね。必ずしも、MECE的思考法で分けるときに目的が必要なわけではないのです。  しかし、本当にこの「前」や「後」に分ける場合に目的はないのでしょうか? ここで、もっと基本に返って見ましょう。もともと言葉が、存在するだけで区別することを行っていると以前説明しました。このことを逆に考えると、区別したいから言葉があるともとえることができます。そうすると、「前」や「後」も何かを区別したいから言葉として存在するといえます。  問題はこの何かです。たとえば「前」と「後」。これは「前後」という対の言葉になっています。きわめて結びつきが強い言葉です。これは、人間の概念のなかで、空間上または時間上の位置関係を相対的に区別するための言葉であり、人間の基本的動作の目的を思考するための必須の概念からきているのだと思われます。  結局、「前」や「後」を区別するために目的が必要ないのではなく、あまりにも当たり前の目的だから、それを目的と思わないのではないでしょうか。  この当たり前の目的を目的と意識したとき、MECE的分解は、MECEの説明の分類をしたときのようなより高度な抽象的な目的から、「前後」のときのような当たり前の目的までの、すべてのレンジにおいて、目的から紐解けると言えると思います。

「目的」+「全体と部分とそれ以外」

mokurenさん、うまく話を展開してくれましたね。パスした甲斐があるというものです。  「全体と部分とそれ以外」、確かにそのとおりだと思います。でも、どうしてそれを明確にする必要があるのでしょう?  普段の思考の中で、何が難しいかというと、モレているものを見つけることです。モレているものは見えていない。存在すること自体に気づいていない。それに気づくためには、見えているものを整理し、それを元にして全体を描き出し、全体の中に見えているものを当てはめて、モレているところを浮かび上がらせる必要があります。その手法の1つがMECEだとすれば、MECEのポイントは「モレなく」であり、「ダブりなく」は「モレなく」するための補助的な手段だということなのかもしれません。  前回、MECEに関するWebページを分類しました。なぜこのような分類をしようと思ったのでしょう?そもそもの分類の動機は、自分たちのサイトはMECEに関するWebサイトの中のどこに位置づくのか?ということです。  最初の分類として「MECEそのものを説明しているページ」「MECE以外のものの説明の中でMECEを補助的につかっているページ」に分類しました。私たちのこのサイトはどちらに属するかというと、「MECEそのものを説明しているページ」に当てはまる。では他にたくさんある「MECEそのものを説明しているページ」と自分たちのサイトの違いはなにか?もし既存サイトの中に「モレ」があるのなら、それが私たちのサイトの特徴、存在意義になるはずです。  そこで「MECEそのものを説明しているページ」をさらにMECEで分類しようとする。そうすると既存サイトは「MECEそのものの説明だけど受け売り」という印象で表現できる。それをもっと具体的に表現すると「MECEがどういうものかという説明と既存のMECEの分類の例には言及しているが、新たにMECEの分類を作る方法については言及していない」という特徴を抜き出せる。  このことから「新たにMECEの分類を作る方法に関して言及している」自分たちのサイトは既存のサイトの分類からモレている部分に位置づいていることがわかる。そこにフォーカスを絞ることで、私たちのサイトの存在意義はより明確になるはずです。  ところで、この分類は前回の分類とはちょっと違う結果になりました。前回の分類は単に「MECE

「全体と部分とそれ以外」

 仕方がないので、私のほうで検討を一つ進めます。でも、すでにkoppeさんが言っていることなんですよ、検討すべき内容のスタートは。  まず、MECEでの「モレなし・ダブリなし」に行き着く前に、絶対しなければならないことがあります。それは分解です。簡単に言い換えると「分ける」と言うことです。このことについては、今まで検討してきたと思います。  ではその分解ですが、それに対する最も簡単な思考法はなにになるのでしょうか?それは、「それとそれ以外」に分けることです。この思考法は日常頻繁に使われている思考法なんですね。それは、言葉そのものがその思考法のために存在するみたいなものだからです。  たとえば、「みかん」という言葉があります。この言葉存在するだけで「みかん」と「みかん以外」を区別することになります。このことは普段意識はほとんどされていませんが、よくよく突き詰めて考えると言葉、特に名詞に関してはそのために存在しているといっても過言ではないのではないでしょうか。  まず、この「それとそれ以外」を基本形とします。この基本形を忘れないでください。あまりにも当たり前すぎて、常に意識しておかないとすぐこの基本形は忘れ去られます。  次に、検討すべきことは「それ以外」です。先ほどの「みかん」を例にすると、「みかん」以外は無数にあります。自動車、キリン、海・・・・・。一体「みかん」以外はいくつ存在するのでしょう。無限大に存在しますね。 ところが、りんご、バナナ、イチゴ、とくれば何か無限ではなくなりそうな気がしませんか。そうなんです。この場合は「果物」という「みかん」という言葉で現される概念の上位概念、言い換えると抽象化された概念が存在し、りんご、バナナ、イチゴ、はその「果物」という言葉の概念の中にすべて存在するからなのですね。  自動車、キリン、海・・・・・、となると、「この世に存在するすべてのもの」がその上位概念となってしまいます。これでは無限にあると言っているのと同義語になってしまいます。「それ以外」を有限にするための全体の概念(言葉)を定義する必要があります。  したがって、基本系の次に考えなければならないことは、ある範囲を全体と定め、その範囲内において「それとそれ以外」を突き詰めること、言い換えると「この範囲において、それとそれ以外」に思考の枠組みを広げる必要があります。この

パス1

急にお題を変えないでくださいよー。車は急に曲がれない!。だから今回はパスです。よろしく。

MECE的分け方テンプレートの作り方

 MECEの考えで分解を考えるときよく例として表現されているのが、マーケティングの4Pなどの既に体系化された分類を用いる方法です。この場合、プロダクト、プライス、プレイス、プロモーションに分けることを意味します。すでに体系化されているので、その体系化の考えの下においてヌケ・モレはありません。また、経営をなどを例にMECEを考える場合は、人、物、金、情報などといった分け方が紹介されたりしています。これも同様で、既知の体系化を用いて、ヌケ・モレをチェックします。  ところが、いままでの私たちが述べてきたMECE的分け方は、既知の体系が使えない例をあげてきました。  前者においては、既知の体系化の知識としてのストックが必要で、その知識をテンプレートとして当てはめることでMECE的分類を実現します。これは、書物等を中心に知識をストックすることで増やすことが可能です。  しかし、後者はどうでしょう?先ほどkoppeさんがおこなったような分けか方などは、既知の知識をテンプレートとして使うことができませんね。そのテンプレート自体をその場で見出す思考法が必要になりますね。  わたしが、MECEの考え方に思いをめぐらすとき、常にこの疑問が頭をよぎるのです。この問題を解決しないと、どうもMECEは既存の知識の範囲においては有効でが、それ以外の場合そのわけ方に体系性が見出せないため即興的な感覚的でのヌケ・モレのチェックにとどまってしまい、本来MECEが目指すヌケ・モレチェックが有効に機能していない可能性が非常に高くなります。  そこで、これからしばらくはこの問題について焦点を絞り、「MECE的分け方テンプレートの作り方」をお題と称して、その議論に突入したいと思います。

お次は3分割

mokurenさんが私の後を引き取ってくれなかったので、私も勝手に話をすることにしちゃいます。前回は2分割の分類方法の話をしたので、今回は3分割以上の分類を考えてみようと思います。  いろいろな情報を、いくつかに分類しようとするとき、どんな手順でやっているでしょうか。私の場合は次のような手順でやっています。 (1)まずは全体の中から、「似ているな」と感じるデータを寄せ集めます。 (2)次に寄せ集めたデータたちのどこがどんな風に似ているかを言葉で表現します。  mokurenさんのMECEについて書かれたWebページ群の例でいうと、たとえば「MECEそのものを説明しているページ」だとします。とすると残りは「MECEそのものを説明しているのではないページ」だということになります。 (3)この残りの部分が何かというのを別の表現で表現してみます。すると「MECE以外のものの説明の中でMECEを補助的につかっているページ」と表現することができます。 ここまでで2分割できました。  残りの部分に「似ているな」と感じるデータがあるなら、残りの部分に対して(1)~(3)を繰り返します。すると「ロジックツリーの説明の中で観点としてMECEを補助的に使っているページ」と「ロジックツリー以外の説明の中でMECEを補助的に使っているページ」に分かれます。 ここまでで3分割できました。  さらに残りの部分に(1)~(3)を繰り返します。このように2分割を繰り返していくと、「ダブりなく」になりますね。  このようにどこまでも2分割を繰り返していくとどこまでも細かくなってしまいますが、どこでやめればいいんでしょうか。「100%もれなく」が求められてなくて、「大別」すればいいのであれば、特に数が多いものいくつかで全体の7、8割をカバーするところまで分類すれば、大体「モレなく」分類できていることになるような気がします。

MECEの怪しさ

 MECEが話題になったので、インターネットでMECEをキーワードにしていろいろ検索してみました。Googleの10ページまで見てみましたが、その中で一番多いのかったのはそれ自体の説明ではなく、ロジックツリーを作るときの観点として書かれているものでした。MECEそれ自体の手法についてさらに詳細に突っ込んでいるものはなかったですね。想像通りだったというところでしょうか。  それ以外では、MECEそのものを述べてはいるが結局はロジカルシンキング系の書物の引用的記述か、もしくは、ブログ系の記事に多いのですが、ブログの話題のなかでモレとかダブリに関係するようなところでMECEの概念を引っ掛けられているものに大別できると思います。  でも一つ、面白いブログがありましたのでご紹介します。「MECE的マニュアルの限界」というブログの記事です。マニュアルという観点からMECEの考え方の活用方法と限界が書かれていて面白かったです。「ダブリなし」にたいして、あえて「ダブリあり」が必要な面があるといっているところに惹かれました。  ところで、前回のkoppeさんの投げかけを無視して、なぜこのようなインターネット上のMECEの話題を書いたのでしょう? それは、インターネット上のMECE話題を分類し、モレがないかダブリがないかという観点から分類するというMECEの例を作りたかったからです。  確かに、上述は次の三つに分類されています。   ・ロジックツリーの作成時の手法として   ・MECEそのものの説明だけど受け売り   ・MECEを身近な話題に引っ掛けて話題づくり  しかしながら、これでMECEの考え方に則した「モレなし、ダブリなし」はなりたっているのでしょうか?  ダブリのほうはまだチェックできそうですが、モレに関してはなにか怪しいですね。このあたりをもう少し検討できたらと思います。

まずは2分割から

 確かにいわれてみれば、分類がないところから分類を見つける方法の説明なんて、お目にかかったことがないですね。分類する方法にはどんな方法があるのでしょうか?  一番簡単なのは2分割です。つまり、○○なものとそれ以外のものに分ける、または反対の意味のものに分ける。  たとえば、「嫌いなもの」と「嫌いなもの以外」に分けるときれいに2分割できます。また、「新規」のものと「既存」のものという反対の意味の言葉でもきれいに分かれます。  でも、反対の意味の言葉ではきれいに分かれないことがあります。「嫌い」の反対は「好き」ですから「嫌いなもの」と「好きなもの」で分けると一見きれいに分けられているようにみえますが、「嫌いでも好きでもないもの」が抜けてしまいます。  反対の意味の言葉で分類するときは、いったん「○○なもの以外」を考えてみて、それと反対の意味の言葉が指しているものが同じかどうかをチェックする必要があるようですが、mokurenさん、いかがでしょうか?  

MECE

 いよいよ、ロジカルシンキング系の書籍でよく述べられているMECEの話が出てきましたね。「モレなし、ダブりなし」を確認する思考法として書かれていますよね。でも、今回、私たちが検討してきた過程を考えると、同じMECEでも少し意味が異なるように思えます。  「モレなし、ダブリなし」の考え方はよくわかるんだけど、そもそもどのように分解したら「モレなし、ダブリなし」になるのかわからない。ロジカルシンキング系の書籍をいろいろ読んだけど、そこには、常識としての分解例しか述べられておらず、分解の仕方自体に踏み込んで言及しているものを私は見たことがありません。そこに、MECEにたいする違和感があるような気がします。