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ヌケとモレの違いは?

 先日、別の人が資料のレビューの際に「作業計画をたてるときのポイントは、作業の総量を把握することと、ヌケモレをなくすことだ」というのを聞いていて、ふとひょんなことに気がつきました。なぜ「ヌケモレ」と言うのでしょう?  「ヌケ」と「モレ」はほとんど同じ意味の言葉のように思えます。でも、こういうシチュエーションでは「ヌケモレ」とセットで使いたくなります。一方でMECEの説明では「モレなくダブリなく」とは言いますが「ヌケなくダブリなく」とは言いません。いったい、「ヌケ」と「モレ」の違いは何なのでしょうか?    大辞林で調べてみると、それぞれ以下のような説明が書いてあります。 ぬ・ける0 【抜ける】 [1] 中にある物が外に出る。 (オ) 構成要素の一部がなくなる。脱漏する。脱落する。 ・ 名簿に私の名が―・けている  ・ 途中で一六ページ分―・けている  ・ 説明が―・けている も・れる2 【漏れる・▼洩れる】 [1] 液体・気体・光・音などが、容器や仕切りの外側へ少しずつ出る。 ・ タンクから燃料が―・れる  ・ ―・れたガスに引火する    ~中略~ [4] 脱落する。抜ける。 ・ 選に―・れる  どちらも「脱落する」という意味ですが、「ぬける」は全体のうちの比較的大きな部分が欠けるような感じ、「もれる」は部分的にところどころ小さい穴が開いているような感じですね。  ということは、「ヌケ」は全体を把握してはじめてどこが欠けているかを見つけられる、「モレ」はすでに把握されている全体をMECEできちんと「モレなくダブリなく」分解していけば見つけることができる。  つまり、「ヌケ」は最初の視点から外へ外へと視点を広げて全体を把握する課程で見つけられるものであり、その意味で「関係」の視点から見つけ出されるもの。逆に「モレ」は最初の視点を内に内にと細分化して構成要素を洗い出す過程で見つけられるものであり、その意味で「分解」の視点から見つけ出されるもの、と言うことができるのではないのでしょうか?  「ヌケ」と「モレ」はどちらも防ぐべき脱落ですが、それを見つけるためのアプローチが違う。だから「ヌケ」と「モレ」をセットで「ヌケモレ」というのだと思います。

なぜ、思考手順のノウハウ伝達が難しいのか

 前回の記事で、「最近あった例で」抽象化の思考手順の具体例を説明しましたが、この記事を書くときにあることに気がつきました。  それは、つい最近の例の他は、思考手順の具体例をまったく思い出せないという事実です。抽象化をした結果として出来上がったルールは思い出せるのですが、そのルールにどうやってたどり着いたのかを思い出そうとしても、さっぱり思い出せない。どうも私たちの脳は、限られた記憶容量を無駄なく使うために思考した結果は記憶するけれど思考の過程は忘れるように出来ているらしい。実は、このことが、思考手順のノウハウを人に伝えることを難しくしているのだと思います。  何か物理的な物を作るときの手順も、それをやっていないときに、手順を思い出しながら言葉で説明して伝えるのはのはむずかしい。でも物を作る手順は外から見えるので、作っているところを他の人が見れば伝わるし、ビデオで撮影すれば記録することも可能です。でも思考手順は外から見えないので、思考している本人が思考している瞬間または直後にそれを言葉にして説明しない限り、他の人には伝わらないし記録することもできない。  結局、ノウハウを伝える側に「思考している瞬間または直後にそれを言葉にして、記録する」能力・努力を要求する、ということが思考手順のノウハウを人に伝えるということの最大の障害なのではないかと思います。

抽象化の使い道

 スーパーエリート山田太郎さんの例で抽象化を考えていると、抽象化が仕事の上でどう必要になるのか、役に立つのか良く分からなくなってくるので、mokurenさんに一休みしてもらってそれを考えてみたいと思います。  抽象化の使い方の典型的な例の一つは、何かを考えるときの分類軸を見つける、です。このブログのカテゴリ「9.4象限MECEの作り方」の中で「税金ー福祉」、「労働ー消費」の共通点をそれぞれ「官」「民」としましたね。「税金ー福祉」から分類軸の「官」を導き出す、これが抽象化の使い方の一例です。  もうひとつの典型的な例は、なぜ?を紐解く、です。これは少し分かりにくいので、最近あった例で説明してみたいと思います。  あるお客様の顧客対応業務をシステム化するために、現状の業務をヒアリングしました。すると当初想定より、かなり業務がややこしいことが分かってきました。業務がややこしいとシステムの設計もややこしくなるので、費用やスケジュールに影響が出てしまいます。なぜこんなにややこしいのか?  そこで、過去の事例の中で同じようにややこしいと感じた事例を探してみると、ある自治体の宅建業免許の問い合わせ対応がややこしかった。  この2つ事例の共通点はなにかとさがしてみると、顧客が個人事業主やそれに準ずる中小企業だという点が共通していました。つまり2つの事例を抽象化した結果「個人事業主やそれに準ずる中小企業に対する顧客対応業務」だということが分かったというわけです。それと2つの事例に共通する「ややこしい」を結びつけると「個人事業主やそれに準ずる中小企業に対する顧客対応業務はややこしくなる」というルールが出来上がります。  ルールが出来上がると、次からは、このルールを念頭において事前確認をしたりシステムの見積もり時に考慮したりすることができるようになります。  このように、経験則やノウハウといわれるものは、すべて、抽象化という過程を経てルールになり、蓄積されていくのだと思います。

抽象化と集合

物理的特徴: 男性、背が高い、男前、スタイルがいい、32歳  性格的特徴: 話が上手、女性にやさしい、人に気を使う、女性にも男性 にも人気がある  能力的特徴: 語学が堪能(英語と中国語)、MBA取得  所与の所属的特徴: 山田という家族の一員、東京で生まれ育った、資産家の息子、次男、上に兄が一人  選択による所属的特徴: 東京大学卒業、ハーバード留学、年収1000万、大手金融系会社に勤務  所有物的特徴: 都内に自分のマンションをもっている、車はセルシオ  これらの太郎の特徴の中で、名詞として抽象化表現の核の文言として使えるのは、  男性  次男  息子(「資産家の」は形容詞であるためあえてはずします) です。  あと、「山田」も核としては使えそうですが、太郎は山田太郎であり、「太郎」と「山田」は同値であるとして今回は外します。  そして、これら3つ以外の特徴を抽象化表現での核にすると変ですね。  このように、特徴を抽象化表現に転用するとき、なぜ核に使える特徴と修飾にしか使えない特徴に分かれてしまうのでしょうか?  答えは「集合」という概念にあります。「男性」は「男性 ⊂ 人」 という集合関係の中に存在できます。また、「次男」、「息子」は、「次男・息子 ⊂ 家族」という集合関係の中に存在できます。  「32歳男性」は「32歳の人」  「東大卒大手金融会社勤務の男性」は「東大卒大手金融会社勤務の人」 のように男性を人に置き換えることができます。また、  「都内に自分のマンションを持っている息子」は「都内に自分のマンションを持っている家族」 と息子を家族に置き換えることができます。  部分集合である「男性」や「息子」を、その全体集合「人」や「家族」に置き換えることができるのです。  ところが、抽象化表現に転化するとき修飾にしか使えない特徴はこの集合関係をつくるのが難しいのですね。たとえば、「話が上手」これの全体集合は何でしょう? すぐ頭の中に浮かんでこないですね。 次回は、このあたりのことについて検討してみましょう。

抽象と捨象

 「その際、他の不要な性質を排除する作用(=捨象)をも伴う」ということを逆に言うと「必要な性質を選択する」と言えると思います。そしてそう解釈すると、太郎さんについてあげた特徴のうち一つないしは若干の複数を選び、それ以外を排除(捨象)すると太郎さんを抽象化したことになります。 たとえば、  ・32歳男性 とすると太郎さんを抽象化したことになります。また、  ・東大卒大手金融会社勤務の男性 も太郎さんを抽象化したことになります。  ここで、面白ことが見えてきます。今あげた2つの例ですが、名詞となっている「特長」は男性であり、それ以外の「特徴」はすべて名詞である男性を修飾する形容詞になっていますね。男性以外を名詞とし男性を形容詞にして抽象化の表現を組み立てるとなんだか違和感がありますね。 たとえばこんな感じです。  ・男性32歳  ・男性で東大卒大手金融会社勤務  このように、複数の特徴を取り上げそれを一つの文節にまとめると、感覚的に、核できる「特徴」と、核にはできず核を修飾ように記述すると収まりのいい「特徴」に分かれてきます。 次回は、このことについて検討してみましょう。

特徴の列挙

 前回、抽象(化)の辞書的意味をgoo辞書(三省堂提供「大辞林 第二版」より)からの引用して紹介しましたが、これだけではその意味がよく分かりませんね。分からない理由は「ある性質・共通性・本質に着目」の文言にあるのではないのでしょうか。それ以外の文言はそれなりに説明できそうです。そこで、このことについて考えてみることにしましょう。  たとえば、ここに「太郎」という人間がいたとします。そして、この太郎を抽象化するとどうなるか一度考えて見ましょう。 たとえば太郎について思いつく特徴を列挙してみましょう。  男性、人に気を使う、背が高い、次男、男前、東京大学卒業、ハーバード留学、スタイルがいい、語学が堪能(英語と中国語)MBA取得、女性にやさしい、大手金融系会社に勤務、東京で生まれ育った、女性にも男性にも人気がある、山田という家族の一員、次男、上に兄が一人、年収1000万、話が上手、都内に自分のマンションをもっている、32歳、資産家の息子、車はセルシオ  なんだか、この太郎という人すごい人ですね。男性ならこんな人になってみたかった、女性ならこんな男性とお付き合いしたかったと一度は憧れる特徴をほとんど持っていますね。で、それはさておき、これらの特徴が「性質・共通性・本質」とどう関わるか分析してみましょう。  まず、性質ですが、太郎そのものの性質としましょう。すると、物理的特徴と性格的特徴と能力的特徴が考えられます。   物理的特徴: 男性、背が高い、男前、スタイルがいい、32歳   性格的特徴: 話が上手、女性にやさしい、人に気を使う、女性にも男性にも人気がある   能力的特徴: 語学が堪能(英語と中国語)、MBA取得  次に共通性ですが、これは太郎一人だけでは成り立たない特徴としましょう。すると所与の所属的特徴と選択による所属的特徴と所有物的特徴が考えられます。   所与の所属的特徴: 山田という家族の一員、東京で生まれ育った、資産家の息子、次男、上に兄が一人   選択による所属的特徴: 東京大学卒業、ハーバード留学年収1000万、大手金融系会社に勤務   所有物的特徴: 都内に自分のマンションをもっている、車はセルシオ と分類されます。  「本質」に分類すべきものは見えてきませんが、とりあえず、「性質・共通性」に関することは少しみえてきたようです。そこで、「本質」に関して

アブダクションと抽象(化)

 Koppeさん、07月28日の「演繹法と帰納法」と08月07日の「共通点の見つけ方」で帰納法のことについて言及されていますね。  まず、複数の事例からその規則性をみつけるのが帰納法であるのにたいして一つの事例しか紐解いていないからそもそも規則性が成り立っていない。それから、その規則性を求める過程の思考法について帰納法は言及していない。まとめるとこの2点になるのではないでしょうか?  前者に関して言えば、アブダクションという考え方(概念?)がもっとも近いように思われます。これはアメリカの哲学者パースが表明した概念で、日本語で仮説発想とも言われており、演繹法や帰納法などの整理的思考法の前段階として存在するものではないかと提唱されています。この考え方に近いのではないのでしょうか?   ちなみに、英語で帰納法はインダクション、演繹法はディダクションと言います。日本語だと仮説発想、帰納法、演繹法で3点セットの響きはありませんが、アブダクション、インダクション、ディダクションと英語だと3点セットの響きがありますよね。このあたりの響きの違いで、仮説発想(アブダクション)という思考法概念があまり日本に浸透してきていないのかもしれません(実際のところ海外でアブダクションという概念がどの程度普及しているかはしりませんが)。  また、後者に関しては、「抽象(化)」がそのキーワードになるのではないかと思います。日本人が一般的に「抽象」といえば、ピカソの絵画や具体の反対という意味で代表されるように、何か意味のよく分からないものというニュアンスで使われることが多いと思われます。 しかし、本来の「抽象(化)」の意味をここでおさらいしておく必要があります。  ちなみにgoo辞書(三省堂提供「大辞林 第二版」より)では抽象のことを次のように説明しています。 -----以下 goo辞書(三省堂提供「大辞林 第二版」より)からの引用---- ちゅうしょう ちうしやう 0 【抽象】 (名)スル 〔abstraction〕事物や表象を、ある性質・共通性・本質に着目し、それを抽(ひ)き出して把握すること。その際、他の不要な性質を排除する作用(=捨象)をも伴うので、抽象と捨象とは同一作用の二側面を形づくる。 ⇔具象(ぐしよう) ⇔具体 「意味或は判断の中に現はれたる者は原経験より―せられたるその一部であつて/

共通点の見つけ方

 前回の記事で、一般に知られている帰納法での例の使い方と、私が具体例から推論を組み立てる時の例の使い方がちょっと違うような気がしたので、厳密には帰納法といえないのでは?と疑問を投げかけました。  しかし、どちらも「事実」→「推論」という論理の流れは同じです。私の使い方は帰納法ではないのでしょうか?  そこで、改めて帰納法の説明をよくよくみると、「複数の事実の共通点に着目して一般論を導き出す」とは書いてありますが、共通点を見つけ出す手順には言及していません。  そもそも、複数の事実の共通点とは、個々の事実のある一部なのですから、共通点を見つけ出すには、ある部分が同じであると分かるまで、個々の事実を分解することが必要です。  それを行うためにまず1つの事実を分解してその構造を明確にする。つまり、分解方法のテンプレートをつくってから、他の事実にそのテンプレートを当てはめて分解する。その後で、分解された構造の部分同士を比較してどの部分が共通なのかを判断する。私が取り上げた具体例から推論を組み立てるときの例の使い方は、複数の事実の共通点を見つけるための思考手順の1つだということができると思います。  その結果を人に説明するときは、共通点を見つける手順は特に説明の必要がないので、「複数の事実の共通点に着目して一般論を導き出す」となる。帰納法の一般的な説明と私の記事との違いはそういうことではないかと思うのですが、mokurenさんはどう思いますか?