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「分類軸」は「関係」だといわれても。。。

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mokurenさん、  「この関係と分解を4象限MECEに当てはめて考えてみると非常にすっきりします。」と書かれていますが、全然すっきりしないのですが。  なぜ「「関係」が「分類軸」で、「分解」が「分解要素」と対比づけることができるのです。」かが理解できません。  確かに対談記事の中で、分類軸や4つめの問題を見つけ出すのには、関係を使っています。どのように関係を使ったかを整理してみます。 1.最初に、少子化で減るものとしてまず3つを挙げました。 2.次にその3つを2つと1つに分けるために、共通する観点を探しました。具体的には、それぞれで社会との間で流れているものという関係を書いてみると、お金の流れという共通点がでてきました。 shoushika4.JPG 3.それを流れの向きで2つに分類することで、2つと1つに分解できました。 4.さらに、流れが一方向のものと、双方向のものの共通点を見つけて分類することで4象限に分類できました。  つまり、労働、税金、消費が個人と何かの間のどういう関係を表しているかを分解していって共通点を見つけ出し、2対言葉で分類したというならわかります。  でも、その分類が「関係」だといわれると、何と何の関係なのやら、さっぱり理解できません。  どういうことなのか、もう少し詳しく説明してもらえませんか?

「4象限MECE」と「関係と分解」

 存在しないものを認識するための一手法としての4対言葉によるMECE的分解。そしてそのMECEでの4対言葉自体の定義の怪しさから4象限(田んぼ)MECEまで、ようやく話が一つにまとまりましたね。  ・考えるべきものがあり分解する。  ・分解しようとするが2~3個ぐらいにしか分解できない。   (それ以上できない、または表現を変えてすでにあげた分解要素と同じ内容のことを列挙するだけの状態になってしまう)  ・分解軸を考える。  ・????  4象限MECEは上記の????の思考状態を脱出する方法でもあります。このとき2対言葉を利用するのです。  ところで、この4象限MECEを考えるとき、面白いことに気づきませんか? それは、分解軸と分解要素がそこに存在することです。  関係と分解についてこれまでいろいろ議論してきました。その一つの結論としてズームインやズームアウトというメトノミー(比喩)を持ち出したりもしました。しかし、今ひとつ定義された感じになっていなかったと思います。  この関係と分解を4象限MECEに当てはめて考えてみると非常にすっきりします。「関係」が「分類軸」で、「分解」が「分解要素」と対比づけることができるのです。  そうすると、関係と分解が表裏一体の概念であることが見えてきますね。分解されたものどうしの間には何らかの関係が存在する。言い換えれば、関係が存在するということは個別の要素が存在しえる。ということなのではないのでしょうか。 PS:koppeさん。4象限MECEで分解軸を見つけ出すとき、万能ではないのですが一つコツがあります。それが何か考えてみませんか?

対談:続・田んぼMECEの具体例

koppe : 先日は、田んぼMECEの作り方を4つ目のキーワードの「福祉」を見つけるところまでやったけど、まだ田んぼMECEは完成してないよね? mokuren : というと? koppe : 社会へのお金の流入=税金と消費、個人へのお金の流出=労働と福祉、ということまでは分かったけど、まだ田んぼにはなってなくて、"日"を90度回転した状態だよね? mokuren : ああ、そういうことですか。まだ"田"の形になっていないと。 koppe : そうです。次はこれを"日"→"田"にするんだよね? mokuren : そうです。 koppe : 「福祉」の見つけ方までは、今までやってきた方法でいいんでしょ? つまり、まず3つ挙げる。 mokuren : そうだね。 koppe : それを2つと1つに分ける分類の軸を見つける。(流入と流出) mokuren : そこまでは、OKです。問題はこの次。 koppe : 足りない1つが何かを考える。(労働以外に流入するものは何か) mokuren : 直感的に考えて足りない1つを見つけ出す。これはこれで、一つの方法だと思うよ。 koppe : このあと、田んぼに分けるんでしょう?具体的には、流入と流出に分類されているもの1つづつで似たもの同士を集めて共通点を探す。 koppe : とすると、考えられる組み合わせは、「税金ー労働」と「消費ー福祉」の組み合わせか、「税金ー福祉」と「労働ー消費」の組み合わせしかないから、このうち、どっちの組み合わせのほうがより共通性があるかといえば、後者のほう。 mokuren : そうそう、いいところまできました。この「税金ー福祉」、「労働ー消費」を一般的な2対言葉で言い直してください。そうすると、新たな視点がみえてくると思うよ。 koppe : 「税金ー福祉」は国・自治体、「労働ー消費」は民間。 これで 田んぼMECEが完成? mokuren : おしいね。「国・自治体」と「民間」を一つの2対言葉でいえるとすっきりするよ。 mokuren : それは、「官民」です。 mokuren : 最初に見つけた分類軸が「出入」であり、今回見つけた新たな分類軸が「官民」となります。これで、4象限(田んぼ)の分類軸となるべき2軸が

対談:田んぼMECEの具体例

koppe : 「2006年06月15日 2対言葉による二つの分解方法」で書いてある四象限のMECEの説明、具体例がないと良く分からないから、例を考えてみます、って言ったのはいいんだけど、田んぼMECE(四象限のMECEのことです)の具体例を考えるの難しいよ。 mokuren : 難しいね。がんばって! koppe : 私は、普段田んぼMECEを使ってないからさっぱり浮かびません。 mokurenさんは田んぼMECEをヒアリングのときに使ってるんでしょ? mokuren : そうです。 koppe : じゃあ、誰かに対するヒアリングでも、なんでもいいから思い出してよ。 mokuren : そうきましたか。 では、何でもいいから問題点を三つあげてみて。たとえば、今社会問題となっている少子化問題についてでもいいから三つ挙げてみて。 koppe : 労働力が減る、税収が減る、消費がへる。 koppe : 少子化の対象となる人がすること。それが減る。と考えると 労働する。 税金を納める。 物を買う。 これが3つだとすれば、残りの一つは何? mokuren : この3つはそもそも何を分解したの? koppe : 少子化で減ると困るもの。 mokuren : そういうことですね。ここまできたら簡単だと思うよ。 労働する が流入。 税金を納める。物を買う。 が流出。 koppe : どこからどこへの流れなの?社会から個人? mokuren : 労働者の集団。 koppe : ?? mokuren : 労働する は流入というより、源泉かもしれない。 koppe : 個人と社会の間のお金の流れと考えると、 税金、消費は個人から社会へのお金の流入、 労働は社会から個人へのお金の流出。 mokuren : そうですね。 koppe : 社会へのお金の流入が二つ、個人へのお金の流出が一つ、流出が1つたりないよ? mokuren : そうでしょう?この足りないことに気づくことが第一のポイントです。 そして、それが何であるかを考え付くことが第二のポイントです。 では、ヒントを言いましょう。 個人へのお金の流出は労働だけですか? koppe : 福祉は流出? mokuren : そうです。 koppe : お、4つになった。「少子化で減ると困るもの」から「福祉」というキーワードはでてこないね!

大失敗から分かること

 mokurenさん、話の途中に割り込ませてもらいます。  昨日、客先で大失敗をしてしまいました。ヒアリングの実施場所を間違えていってしまい、20分も遅刻してしまったのです。間違えていった場所は、ヒアリング対象者の所属する第一営業部のあるビルで、私は何の疑いももたずに間違ったビルに行ってしまいました。  なんでそんな間違いをしてしまったのかと、よくよく考えてみて、その2日前のヒアリングで、第一営業部とその場所を結びつけて理解しなければならなかったことを思い出しました。  ヒアリングをするときは、自分たちの知らない相手の情報を一度に大量に聞きだして、全体像や細部の違いを理解しようとします。2日前のヒアリングでは、場所がはなれた第一、第二、第三の3つの営業部があり、第一営業部だけがヒアリングの目的である営業支援スタッフの組織と同じビルにあるために、コミュニケーションのやり方が他と違うということを教えてもらいました。そのときに私は、第一営業部と営業支援スタッフのいる場所とを必死に結びつけて理解しようとしていたのです。その結びつきが強すぎて、私の頭の中で、「第一営業部→ヒアリング場所」が、「第一営業部→存在する場所」に置き換わってしまったようです。  このことから、理解するときには、点情報をお互いに関係付けようとしていることが分かります。この大失敗は、わかるために必要な「関係と分解と具体例」の「関係」の存在を確かに実感させる出来事になりました。

2対言葉による二つの分解方法

 2対言葉で分解する場合は、それはそれで終わりとする必要があると思います。それで終わりにしないと、再現のない分解が始まるからです。  たとえば「前後」で分解するとします。これにたいして「前」でもない「後」でもないものは何と考えるとそれは「中」になります。そして、さらにそれら3つでないものを考えると前と中の間の「前中」になりますし、後と中の間の「後中」になります。さらにそれら5つのものでないものを考えると・・・・・、際限がなくなりますよね。  それ以上に分解したい場合は2対言葉で分解された2つの物事を、それぞれ異なる視点での2対言葉でさらに分解する方法(aパターンとする)、たとえば次のような分解と、 企業  実体あり   人   物  実体なし   金   情報  今から述べる方法(bパターンとする)の2つがあると思います。  まず、前回、私が述べた、「それとそれ以外」の分解を行い3つの要素に分けます。このとき2対言葉での分解は行いません。直感的に3つに分けます。何でもいいからまず強引に3つに分解するのです。これをA、B、Cとします。そして、それらを2つに分けます。すると、1つと2つに分かれますね。すると今、  1. A,B   C や  2. A     B,C のような分かれ方をしたと思います。これを次のように書き直してみます(1.の場合を例にします)。     ―――――――――     | A   B     | C   ?  すると、面白いことに気づきませんか? 「?」の部分が見えてきました。そして、下図のM,L、X,Y、が何かを考えてみるのです。このとき、X,YとM,Lは2対言葉で分解で考えます。  たとえば、Xが「前」ならYは「後」、Mが「内」であればLは「外」というように必ず2対言葉で定義します。  そして、それを考え付くことができれば、「?」が何なのかが見えてきませんか?       X   Y     ―――――――――    M| A   B    L| C   ?  このように考えると、今まで存在していることが分からなかった「?」の存在を見つけることができるのではないのでしょうか?  ポイントはこの「?」を見つける過程において、2対言葉という人類が言葉として蓄積した膨大な

4対言葉の分解の具体例

mokurenさんが書いている分解方法は、たとえばこういうことでしょうか。  まず「それ」が「前」だった場合の例。 「前」の「それ以外」は、「前でない」になります。「前でない」を別の言葉に言い換えると、「後」ですね。「前」と「後」は反対語ですから、これで分解は完了です。  次に、「それ」が「好き」だった場合の例。 「好き」の「それ以外」は「好きでない」になります。「好きでない」を別の言葉に言い換えると、「嫌い」が浮かびますが、「嫌い」と「好きでない」が同値かというと、そうではない。そこで、「好きでない」を「好き」の反対語である「嫌い」と「嫌いでない」に分解する。「好きでない」のうちの「嫌いでない」を別の言葉に置き換えると「好きでも嫌いでもない」になります。 これで「好き」と「嫌い」と「好きでも嫌いでもない」の3つに分解できました。 mokurenさん、この理解であってますか?

第1公理は2対言葉

 MECE的分解でよく使われる4対言葉による分解も、今まであげてきた例でおわかりいただけたと思いますが、単純にそれに当てはめて分解するだけではどうも心もとない感じがします。4対言葉自体の分解方法に怪しさがあるからです。  So why、So Whatで分解結果の確かさらしさを検証することはできても、そもそもどのように分解してよいのか分からない。そこで、既知の4対言葉などで分解してみる。でもそれは所詮人の考えの借り物、自分自身の考えで分解したわけではない。  この感覚がMECE的分解に怪しさを感じる一番大きな理由なのではないのでしょうか?  そこで、以前、言いかけてやめてしまった2対言葉での分解をもう一度ここで持ち出してみましょう。この2対言葉による分解は、分解におけるもっとも基本的な公理となるものです。  「前後」、「上下」、「内外」・・・・など、人間が自身の外界の状況を区別して理解するためのもっとも基本となる言葉の蓄積です。歴史が言葉の蓄積を通じて証明してくれています。数学ほど厳密に定義はできませんが、これを分解の第一公理と呼ぶことにします。  まず、「それとそれ以外」で分解します。これは、比較的簡単にできると思います。とりあえずある物事の部分として思いついたものを「それ」として言葉にすればよいのですから。それから、「それ以外」を具体的に言葉にします。このとき、言葉にした「それ」と「それ以外」が2対言葉の関係に該当するか検証します。  もし、2対言葉の概念にきっちり「それ」と「それ以外」が納まっているのであればこれで終わりです。さらに詳細化したければ、今あげた「それ」と「それ以外」をある物事として、同様に分解をしていけばよいのです。  問題は「それ」と「それ以外」が2対言葉の関係に納まらなかった場合です。この場合は、「それ以外」をさらに「それ」とそれ以外に分解します。分解の手法は同様です。「それ」をまずあげます。すると当然、「それ以外」が起こります。ただし、この手法であげた3つの分解要素は重複しないことが条件となります。  と書きましたが、ここで問題となるのが「重複」です。そもそも、MECEの目的は「モレなし、ダブリなし」なのではなかったのでしょか? 簡単に重複が分かるのであれば、わざわざMECEなどという思考法を構築する必要はありませんね。  次回はこの点を掘り

2種類の「参照」の正体は?

 コンピュータの世界での「登録・更新・参照・削除」の4対言葉ですが、「参照」は厳密にいうと2つの意味に分かれています。  たとえば、Widnowsのエクスプローラで「マイドキュメント」を開くと、「マイドキュメント」の中にあるフォルダやファイルの一覧が表示されますね。これが1つめの参照です。仮にこれを「一覧参照」と呼ぶことにしましょう。一覧の中にあるファイル1つをダブルリックすると、そのファイルの中身が表示されますね。これが2つめの参照です。通常ファイルを操作するときは、まず「一覧参照」をして、同じ名前のファイルがあるのか無いのかを判断しています。  このように、「参照」を「一覧参照」と「参照」の2つに分けると、「登録・更新・参照・削除」は、フォルダ内にファイルがあるかないかを判断する「一覧参照」と、その中に存在しないことが判明したファイルを新たに作成する「登録」、その中に存在することが判明した特定のファイルの「参照・更新・削除」の3つのグループに分かれることになります。  mokurenさんが「参照」と「登録・更新・削除」は別のMECE的分類軸ではないかと書かれていますが、特別視した「参照」から「一覧参照」を分離すると、このような分類の仕方も出てきました。周知の分類と思っていた「登録・更新・参照・削除」が、見方によっていろいろ違った分類になるのが面白いですね。

「参照」の異なる二つの意味は合わせ鏡

 こうしてみると、この「参照」だけは、「登録・更新・削除」とどうも位置づけが異なるように思えます。  このことに関しては、水隅さんからもゲストブックのほうで指摘(詳細は「知的生産性探求塾ゲストブック」を参照)をいただいておりますが、私なりの解釈をここで表明させていただきたいと考えております。   参照するという動作はそもそも何のためにするのでしょうか? ・一つは、今まで議論してきた、存在するか否かを認知するためにするということ。 ・もう一つは、ある何かをするために必要な情報を手に入れるためにするということ。  この二つはレベルが違いますね。ある情報を手に入れようとしてその情報を参照するためには、その情報が存在することを予め知っておく必要があります。そして、この予め知っておくということは、それが存在するか否かを参照して知ることができます。  しかし、その情報が存在するか否かを参照するためには、その情報が存在することを予め知っておく必要があります。おや、話がややこしくなってきましたね。このまま話を進めると無限の繰り返しになってしまいますね。二つの異なる参照の意味はまるで合わせ鏡のようです。  「登録・更新・削除」に関しては、合わせ鏡になるような異なる二つの意味が存在しないと思うのですが、間違っているのでしょうか?koppeさん。  このような観点から見ても、「参照」は「登録・更新・削除」と同じレベルに扱ってはいけないものなのではないのでしょうか? 一見、コンピュータの世界では「登録・更新・参照・削除」は4対言葉として一般化しており、マーケティングの4Pと同じような位置づけで使われています。しかし、突き詰めて考えると、「参照」は「登録・更新・削除」とは別のMECE的分類軸であると解釈したほうがよさそうです。

「存在しない状態」は主観の世界

 結局、「存在しない状態」と言うのは、見ればわかるという単純認知ではなく、人間の思考がつくりだした仮想現実であるともいえるのではないでしょうか? 少し哲学的な表現になりますが、仮にすべての世の中を見通すことができ、かつ、客観視だけしかできない存在がこの世に存在すると仮定します。そのような存在が認知できるものは、「存在するようになる」、「存在する」、「消滅する」だけであり、「存在しない状態」を認知することはできないのではないのでしょうか? 「存在しない状態」は極めて主観的な認知であると言えると思えるのです。 それが、その他の「存在するようになる」、「存在する」、「消滅する」と大きく異なるところと思えます。  では、この特殊な状態である「存在しない状態」を「登録」「削除」「参照」「更新」という観点から再点検してみましょう。 登録:  存在しない状態から存在する状態に変化するのですから状態ではなく動作となり、「存在しない状態」には当てはまりません。 削除:  存在する状態から存在しない状態に変化するのですから状態ではなく動作となり、これも「存在しない状態」には当てはまりません。 参照:  これが曲者です。「存在するそのもの」を参照することはできませんが、「そのものが存在しない」という状態を参照することができます。換言すると、この観点の参照ができないのであれば、そもそも「存在しない」という状態そのものを認知することができないのではないのでしょうか? ただし、客観的ではなく主観的な観点からであることを添え書きすることが必要だと思いますが。 更新:  存在しない状態のものを更新することはできませんね。仮にその状態にたいして変化を加えることを更新だとしても、それは登録になってしまいます。決して更新にはなりません。  Koppeさん、いかがですか。koppeさんの言われた「芋づる式分解」を、この観点で一度紐解いてみませんか?