「存在しない状態」は主観の世界

 結局、「存在しない状態」と言うのは、見ればわかるという単純認知ではなく、人間の思考がつくりだした仮想現実であるともいえるのではないでしょうか? 少し哲学的な表現になりますが、仮にすべての世の中を見通すことができ、かつ、客観視だけしかできない存在がこの世に存在すると仮定します。そのような存在が認知できるものは、「存在するようになる」、「存在する」、「消滅する」だけであり、「存在しない状態」を認知することはできないのではないのでしょうか? 「存在しない状態」は極めて主観的な認知であると言えると思えるのです。 それが、その他の「存在するようになる」、「存在する」、「消滅する」と大きく異なるところと思えます。
 では、この特殊な状態である「存在しない状態」を「登録」「削除」「参照」「更新」という観点から再点検してみましょう。

登録:
 存在しない状態から存在する状態に変化するのですから状態ではなく動作となり、「存在しない状態」には当てはまりません。

削除:
 存在する状態から存在しない状態に変化するのですから状態ではなく動作となり、これも「存在しない状態」には当てはまりません。

参照:
 これが曲者です。「存在するそのもの」を参照することはできませんが、「そのものが存在しない」という状態を参照することができます。換言すると、この観点の参照ができないのであれば、そもそも「存在しない」という状態そのものを認知することができないのではないのでしょうか? ただし、客観的ではなく主観的な観点からであることを添え書きすることが必要だと思いますが。

更新:
 存在しない状態のものを更新することはできませんね。仮にその状態にたいして変化を加えることを更新だとしても、それは登録になってしまいます。決して更新にはなりません。

 Koppeさん、いかがですか。koppeさんの言われた「芋づる式分解」を、この観点で一度紐解いてみませんか?

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