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整理・整頓と創発

 お久しぶりです、koppeさん。昨年の10月以来ですね。そろそろ、このブログに復帰したいと思います。  前回のKoppeさんの投げかけ、確かにそうですよね。  いくら個人の頭の中の知的生産性を上げても、頭の中に入ってくる情報が不確かであれば、それを処理するための事前作業としての整理・整頓が余分にかかりますね。外界から受け取った情報が頭の中で整理・整頓できればまだしも、それができないとなれば、その外界の情報を持ってきた人に、なぜ自分は整理・整頓できないかを伝えなければなりません。  で、その整理・整頓できないという情報を相手は受け取り、今度は逆の立場に立って、その整理・整頓できないという情報を整理・整頓しなければならなくなります。  まるで、合わせ鏡ですね。 ちなみに、私は、この、情報を整理・整頓するところが巷で言われているロジカルシンキングのことだと思っています。そして本来の思考は、その整理・整頓されたものにたいして、新たな分類の切り口(分類軸)を見出したりする創発のようなものではないのかと思っています。   その意味で、 ・既知の切り口(分類軸)で情報を体系化することは情報の整理・整頓。 ・ある情報を体系化しようとして未知の切り口(分類軸)を見つけることは創発。  と、捉えてみるのはいかがでしょうか?  こう定義すると見えてくるものがあります。  ある情報にたいして、すでに体系化するための切り口(分類軸)を持っている人にとっては整理・整頓に過ぎないことが、体系化するための切り口(分類軸)を持っていない人にとっては、それが創発という未知への思考になってしまうことです。  このあたり、突き詰めてみるのも面白いかも知れませんね。

知的生産性とコミュニケーション

 皆さんは、一生懸命資料をつくったのに、作った資料が相手の意図に合わずまるっきりムダになってしまったり、何とか〆切に間に合わせるために急いで資料を作ったのに資料がちゃんと届かなくて結局間に合わなかったというような経験はないでしょうか?  資料を作ることが知的生産作業だとすれば、知的生産作業自体は成果を挙げているはずなのに、実際は求められる成果に結びつかないということは、日常でしばしば発生します。  料理の例で考えて見ましょう。  ここにおいしい料理を手早く作れる料理人がいるとします。この人は作るべき料理を求められる時間内に作ることができるのでコンスタントに高い生産性で仕事ができます。しかし、お客の注文を聞いたウェイターが間違った注文を料理人に伝えてしまった場合、お客の元には期待する料理は届かず、料理人が作った料理はムダになります。あるいは「急いで作って」というお客の注文に対して、この料理人は非常に短時間で料理を作ったとします。しかし、その料理をお客の元に届けるべきウェイターがなんらかの理由で料理を運ぶのが遅くなってしまった場合、料理人が短時間で料理を作ったことはお客に評価されません。  つまり、この場合の生産性は、料理を注文した人によってその人が注文してから注文した料理が届いたところで評価されています。料理を作る部分だけでなく、注文を聞いて伝える部分、できた料理を届ける部分も含めて生産性が評価されるのです。  知的生産作業においても、外部からのインプットがあって、思考や資料作成などの知的生産作業があって、外部へのアウトプットがありますね。  知的生産作業にとってのインプットやアウトプットとは、主として会話や資料による外部との情報交換、すなわちコミュニケーションです。  この外部とのコミュニケーションがうまくいかないと、いくら知的生産作業の生産性が高くても、外部からみたときの知的生産性は低くなってしまうのです。  知的生産性を議論するなら、知的生産作業の前後にある外部とのコミュニケーションの質も議論する必要があると思いますが、mokurenさんどう思いますか?