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存在しない状態とは?

 「存在しない状態」をどのように認識するのでしょうか? 改めて考えてみると結構難しいですよね。もともと存在しないのであれば、そもそも存在しないと認識すらしないのではないのでしょうか?  「存在しない」ということを認識する方法は大きく分けて次の2種類あると思われます。 1.「存在する状態」が予め認識されており、時間の経過の中で、それがなくなったときに「存在しない状態」であると認識される。 2.「存在するもの・こと」を分類や体系化することによりその分類や体系の中で「存在するもの・こと」が埋まらない領域を見つけたとき。  まず1ですが、生後すぐの赤ちゃんは認識できないそうですが、生後数ヶ月か1年程度か忘れましたがそれくらいの期間で自然と認識できるようになるそうです。その意味では認知の基礎的能力であり、その認識をすること自体に思考をほとんど要しません。ただし、まったく同じではなく類似すると言う観点から考えると、今、存在しないという状態が、過去に経験した「存在するものが存在しなくなる」というものに関係付けられてはじめて認識されます。ここで思考が必要となってきます。  次に2ですが、これは思考が必ず必要です。たとえば、すでにあるものやことが複数存在し、それを縦横の2つの分類軸の表で分類してみると、埋まらないセル(升目)が出てくる場合があります。そうすると、ここに何か存在するはずだけど、それが今存在しない、というような観点が出てきます。この分類軸を導き出すところに思考が必要となります。また、これは1とは逆に思考の簡略化ができます。それはすでに先人が考え出した分類軸を当てはめてみるという方法です。ロジカルシンキング系書物のMECE的分解の例などでよく紹介される「マーケティングの4P」とか「人・物・金・情報」などはそのような簡略系の一例といえるのではないでしょうか?

動作と状態の公理?

 Koppeさん、話題をしばらく引っ張って入ってくれてありがとうございました。「登録・削除」「参照・更新」の話題をだされてから、それに違和感を持ち、その理由がすぐに言えなくなって今日までたってしまいました。それに対する私の意見がやっとまとまってきたのでこれから書きます。  「登録・削除」「参照・更新」の区別は確かに「データの存在自体を変更する」、「データの存在自体は変更しない」で分けることはできます。しかし、どうもすっきりしないのですね。理由はどうも「登録・削除」は反対の意味での対義後であるにもかかわらず、「参照・更新」はそうなっていないところにあるような気がします。  まず、「登録・削除」を分析してみましょう。これは動作動詞の名詞形ですね。これをもっと抽象化して表現すると「存在するようになる」「消滅する」と言い換えることができます。そうしますと、あれあれ、それらの動作をつなぐものは何? っていう疑問が頭に浮かびませんか? そうなのです、「存在しない」、「存在する」と言う状態がありますよね。 一般的に、反対の意味の動作の対があるならば、その動作の間に、その結果としての反対の意味の状態の対が存在します。   上の例では 「存在するようになる(動作)」   ↓ 「存在する(状態)」   ↓ 「消滅する(動作)」   ↓ 「存在しない(状態)」 となります。  このような4つの関係は特に数学でいうところの公理と同じ位置づけとしてよいですよね。この世に存在するすべての「もの・こと」に当てはまることですから。  では、この関係を「登録・削除」「参照・更新」にあてはめてみましょう。 「存在するようになる(動作)」―――→ 登録   ↓ 「存在する(状態)」―――――――→ 参照・更新   ↓ 「消滅する(動作)」―――――――→ 削除   ↓ 「存在しない(状態)」――――――→ ?  「参照・更新」はkoppeさんの「データの存在自体は変更しない」の表現を尊重して「存在する」に当てはめてみました。そうすると、「存在しない」にたいして当てはめるものがないのですね。このことをどう考えればよいのでしょうか? 続きは次回に書きます。

芋づる式分解

イメージ
ここまで紐解いてみて、自分がプログラムの仕組みを明確化するとき、たった2つのMECE的分解のフレームワークをつかって作業しているという事実に気がついて、われながら驚いています。  その2つのフレームワークとは、 (1)「2006年05月22日 分解レベルの判断基準」の記事で説明した「外部入力、外部出力、外部データ、外部処理」で、名づけて「処理に関わる4つの外部要素」 (2)「2006年05月17日 「動作」系の関係の違い」で説明した「登録、更新、参照、削除」で、名づけて「データを操作する4つの処理」 です。  実際に作業するときは、(1)で分解した結果、新たなデータが出てきたら(2)で4つの処理を洗い出す。そこで新たな処理が出てきたらそれを(1)で分解する、という具合に、2つのフレームワークを当てはめながら、芋づる式に処理を分解しています。芋づる式に分解できるからこそ、次々と効率よくできるのでしょう。  このことから想像すると、ヒアリングや原因分析などが得意な人も、実はそんなにいろいろなMECE的分解のフレームワークを駆使しているのではなく、1~2種類のMECE的分解のフレームワークを使って、芋づる式に分解しているのではないでしょうか?

分解レベルの判断基準

 連続投稿ついでに、もうひとつ投稿させてもらいます。  2006年05月14日の記事を書いてからずっと考えていたことがあります。それは、処理を分解するときに「今回はここまで分解すれば十分」という判断を一体どうやってやっているのかということです。ずっと考えていて、一つの仮説にたどり着きました。それは、「外部との関係がすべて明確になるまで」という判断基準です。  どこまでが内部で、どこからが外部かというのは、場合によって異なります。開発するシステム全体が内部の場合もあれば、ある機能を実現するプログラムの塊が内部の場合もあるし、1つの関数が内部の場合もあります。内部の範囲は、見積もりや設計などのフェーズごとに異なります。フェーズが後になるほど、設計が進むほど、処理は詳細化されていき、内部の範囲は小さくなっていきます。  また、あるプログラムと外部との関係には、主に以下の4つがあると思います。 1.入力(渡される) 2.出力(渡す) 3.外部データのアクセス(取りに行く、ためておく) 4.外部処理の呼び出し(外部に処理させる)  私は、ある処理を分解するとき、その処理にとって上記の4つがいるのかいらないのか、いるのならそれはどのようなものかが明確になるまで、処理を分解しているようです。それは外部との関係のモレやぶれは内部処理のモレやぶれに比べてその影響が大きいことから来ているのではないかと思われます。  「外部との関係がすべて明確になるまで」分解する。この分解の判断基準は、プログラムの処理を分解するとき以外でも使えるかもしれません。

関係と属性

 2006年05月14日の記事でもう一つ気がついたことがあるので、もう少し続けます。  その記事で分解した処理の中に、 「FAX出力形式のデータを送信待ちボックスに入れる」 「送信が成功したら(FAX出力形式のデータを)送信済みボックスに入れる」 「送信が失敗したら(FAX出力形式のデータを)エラーボックスに入れる」 という記述があります。この記述の中にある、「FAX出力形式のデータ」と「送信待ちボックス」「送信済みボックス」「エラーボックス」との関係はどうなっているのでしょうか?  プログラム的にいうと、それぞれのボックスに入っている「FAX出力形式のデータ」は、まったく同じデータです。しかし、「送信待ちボックス」に入っている「FAX出力形式のデータ」は、ただの「FAX出力形式のデータ」ではなく「送信待ちFAX出力形式のデータ」であり、「送信済みボックス」に入っている「FAX出力形式のデータ」は、「送信済みFAX出力形式のデータ」です。「FAX出力形式のデータ」だけをみても「送信待ちFAX出力形式のデータ」かどうかはわかりませんが、「送信待ちボックス」と「FAX出力形式のデータ」とがあって、その間に関係があることがわかって初めて「送信待ちFAX出力形式のデータ」であることが分かるのです。  このように、「FAX出力形式のデータ」に付加された「送信待ち」という表現は、「何かとの関係において対象に付加される属性」といえるのではないでしょうか。    さらに別の例で考えて見ましょう。ここに2つのたまねぎと2本のにんじんがあるとします。この状態でこれらを分類しようとすると、たまねぎ同士、にんじん同士の分類しか思いつきません。ここで、たまねぎの1つとにんじんの1つでカレーを作ろう、残ったたまねぎとにんじんでサラダを作ろうと思ったとします。すると、先ほどまでただのたまねぎとにんじんだったものが、「カレー用のたまねぎ」「サラダ用のたまねぎ」「カレー用のにんじん」「サラダ用のにんじん」にかわります。  つまり、それを使って作る料理と結びつけたとたんに、それぞれに「カレー用」「サラダ用」という属性が付加され、新たに「カレー用の食材」「サラダ用の食材」という分類ができるようになったのです。  私が普段やっているMECE的分解では、この「何かとの関係において対

「動作」系の関係の違い

 と、あっさりmokurenさんに頼るのもあまりに根性なしなので、もう少しがんばって自分なりに紐解いてみたいと思います。  前の記事であげた分解作業は何MECEになっているのか、まず「登録、削除、参照、更新」機能で考えて見ましょう。  以前、5月4日の「2枚の写真」の記事で、「関係は2つ以上の対象の間にあるなんらかのつながり」で、関係の種類には、(1)1枚の写真に2つの対象が写っていて初めて存在が分かる「状態」系の関係と、(2)時間をおいて写した2枚の写真を比べて初めて存在がわかる「動作」系の関係があるというような話をしました。  さて、「登録、削除、参照、更新」機能はそのどちらに当たるでしょう?  登録、削除、参照、更新の違いは、前の記事で書いたように、対象データを操作する前と操作したあとの状態の違いにあるので、(2)の「動作」系の関係に当たると思われます。mokurenさんが分析していた「人、物、金、情報」の違いである「流れの速さ」も2枚の写真の違いと考えると移動した距離の違いということができますね。ということは、「動作」系の関係の違いは2枚の写真の間の「変化の種類」と言えると思います。  では、変化の種類にはどのようなものがあるかといえば、「出現」「消滅」「変形」「増加」「減少」など、実はそれほど数が多くないのではないでしょうか。とすると、変化の種類をMECE的分解であげることができれば、「動作」系の関係のMECE的分解が簡単にできるようになりそうな気がします。

これは一体何MECE?

 なるほど、「流れる」という関係の属性が「速さ」ですか。面白い考え方ですね。 また、mokurenさんが試してみた、実際に使われているMECEを「なぜこれはMECEになっているといえるのか」という視点で分析してみると、新しくMECEを作るときのヒントが見つかりそうです。  そこで、私が仕事の中で使っていると思われるMECE的分解の中で、どういうMECEなのか良く分からないものがあるので、それを紐解くのを手伝ってもらえませんか? 問題のMECE的分解は、プログラムの仕組みを明確化するときの作業に使っています。 たとえば「伝票を顧客にFAX送信する」というような機能を実現するための仕組みを明確化するには、その機能を分解して、どんな処理をどのくらい作るかの見当をつけていきます。 機能分解する作業は、たとえば「伝票を顧客にFAX送信する」機能の場合、およそ以下のような手順でやっています。 (1)まず処理の入力と出力を確認します。 ここでは、入力は「伝票データ」、出力は「顧客にFAXを送る」です。 (2)次に入力から出力するまでに必要な処理を考えます。 「伝票データをFAX出力形式に変換する」 FAX送信は時間がかかるので、直接FAX送信はせずに 「FAX出力形式のデータを送信待ちボックスに入れる」 「送信待ちボックスの古いデータから順番に引き取って処理する」 「FAX出力形式のデータをFAX送信ソフトに渡す」 「FAX送信ソフトがFAXを送信し、結果を返す」 「送信が成功したら送信済みボックスに入れる」 「送信が失敗したらエラーボックスに入れる」 (3)上記の(2)で新たにデータを蓄積するための「送信待ちボックス」「送信済みボックス」「エラーボックス」が出てきたので、それぞれのデータを操作する機能が必要ないかを考えます。その機能とは「登録する機能」「参照する機能」「更新する機能」「削除する機能」で、これらをmokurenさんの記事と同じように2×2に分類するなら以下のようになるでしょうか。 ・データの存在自体を変更する  - 登録  「存在しない」を「存在する」に変更する。  - 削除  「存在する」を「存在しない」に変更する。 ・データの存在自体は変更しない  - 参照  データの内容を変更しない。  - 更新  データの内容を変更する。 (4)分解した結果、新たに登場し

2分割の2分割

 ところで、この「企業=人・物・金・情報」なのですが、MECE的に分解されているとするとレベルがあっていることになりますよね。MECEの例などでよく引き合いに出されているマーケティングの4P(プロダクト、プライス、プレイス、プロモーション)なども同じような感じですが、すでに歴史をもったこのようなMECE的分解のフレームワークは疑いもなく同一レベル観で分解されていると思えてしまいますよね。  しかし、それは本当にそうなのでしょうか? ある物事を新たにMECE的分解しようとしたとき、きれいに4分割できたことなんて本当にありますか? 少なくとも、私はすんなり4分割などできたことがありません。2分割はできます。3分割、ここですでにおかしくなります。3分割のうちの2つは「それとそれ以外」や「対概念(前後など)」の言葉で表される概念で分解できるのですが、3つ目はどうしても最初の2分割とは異なった軸での分解になってしまいます。まして4分割にもなれば不可能に近い領域にとびこんでしまったような感じさえしてしまいます。  「企業=人・物・金・情報」について結論から言うと、これは同一レベル観で分解されていないと思っています。企業という器に対する流入・流出の軸で分解されていることは分かりましたが、4つに分解される前に実は2つにまず分解されるべきだと思います。それは、物理的に存在するものと存在しないもの区別です。 人・物は実体があります。しかし、金・情報に実体はありません。人間にとっての概念であり記号です。  したがって、この2分割があり、それをさらにそれぞれ2分割してできたものがこの4分割であると考えたほうがよさそうです。 企業  実体あり   人   物  実体なし   金   情報 という2分割の2分割になっているのですね。いきなり4分割など無理だというあなた(私もそうですが)、このように4分割というのは2分割の2分割からできていると考えるとなんだか安心できませんか?

関係の属性の使い方

 紐解き方に何か違和感がありますねえ。MECE的分解を行う時に、インターネット検索で一番多いというような多数決的な決方は少し変ではないですか。それも一つの方法だとは思いますが、それしかないのであれば多数決的な決定ができないときどうするのでしょうか?また、少数から生まれる新たな発想を生み出すような分解方法がそこから生まれてくるのでしょうか?  一度MECEの観点から、もっと一般的な例に類似性のフレームワークを当てはめて検討してみましょう。企業=人・物・金・情報などいかがでしょうか。  人・物・金・情報は企業の要素をどのような視点で分解しているのでしょうか? ・・・・・・?。いざ、それを問いかけてみるとそれがなんだかよく分かりませんね。このようなとき、この世に存在する万物に共通して関係するものをあてはめて見ます。・・・・・? それは時間です。時間と言うものは人間の認識において常に付いて回ります。静止しているものも動作しているものも、時間の経過があるから、静止とわかるのであり動作していると分かるのです。写真では正確に静止しているのか動作していのか分かりませんよね。分かるという声もあるかと思いますが、それはその写真の内容と自分の経験を照らし合わせて静止しているはず、動作しているはずと思考回路が働いているからそう思えるのであって、そのような背景知識なしに写真の内容を見ると静止しているのか動いているのか分かりませね。  話を元に戻して、人・物・金・情報を時間という関係からどのような類似点があるか紐解いてみましょう。関係とくれば動詞ですね。その視点から見えてくるものは「流れ」です。人が流れる。物が流れる。金が流れる。情報が流れる。「人が流れる」は少し苦しいですが、それでもその意味で「人が流転する」という表現は使われますよね。  次に流れという動詞で関係づけられる属性としての副詞を考えて見ましょう。・・・・・・。速く→速さがありますね。この観点から人・物・金・情報を見ると、  人 : より遅く流れる  物 : 遅く流れる  金 : 速く流れる  情報 : より速く流れる となります。  結局、企業=人・物・金・情報というMECE的分解は企業というものに対して、流入したり流出たりする物事を速さの違いの観点で分解しているのが分かります。また、この流入したり流出たりす

苦手な「関係」は克服されたか?

 mokurenさんに関係とは何かを紐解いてもらいました。そろそろ、私の苦手の克服法にたどりつけてもよさそうな気がします。  私にとって「関係」が苦手な理由は、「目的に対して適切な結果を得るために、無数に存在する外枠の選択肢の中から、適切なズームアウトの方向と距離の組み合わせを見つけるのが難しい。」ということでした。ここで、今までの議論をベースに外枠の見つけ方を考えて見ます。  まず、MECEはカテゴリ分けですから、MECEの土台になる外枠はなんらかの類似性のあるものの集合になります。 類似性があると判断するフレームワークは以下の4つと想定されました。 ・要素が似ている ・属性が似ている ・関係が似ている ・関係の属性が似ている これらの類似性のフレームワークのどれを使って外枠を決めるのか?1つづつ見ていきます。  「要素が似ている」は、「2006年04月18日 具体例の挙げ方」の記事で述べた、露出を水道にたとえた説明に当てはまりそうです。  「属性が似ている」は一般的なカテゴリ分類なので、これが外枠を決めるときに一番使えそうです。  「関係が似ている」は、ロジックツリーのように欠落している対象を次々に見つけ出していく時に使えそうです。  「関係の属性が似ている」はちょっと思いつかないので、別の機会に考えることにします。 「属性が似ている」というフレームワークが使えそうなので、これを頼りに、外枠を決める手順を考えて見ます。  「Webサイトの中で」「自分たちのサイト位置づけを明確にしたい」という目的のための外枠は「自分たちのサイト」の属性のどれかが似ているものの集合になるはずです。  そこで、まずは「自分たちのサイト」の特徴となる属性をいろいろあげてみます。 「サイトのテーマ」という属性として「知的生産性の向上」、「サイトの内容」という属性として「わかったつもり」「思考法」「MECE」など、「記事の書き方」という属性として「共同執筆ブログ」などがあげられます。  次は、これらの属性の中からいずれか1つを選ばないといけません。選ぶべき属性は自分たちのサイトの位置づけを明確にするために一番適切なもの、ということになりますが、属性だけを見比べていても何も判断できないので、それぞれの属性で似ているデータを集めてみます。具体的にはWeb検索でこれらのキーワードを検索してみて、

類推の4つの判断パターン

 Koppeさん、コーヒーブレークありがとうございます。続きを進めますね。 このように考えてみると、類推のレベルと言葉の関係が見えてきますね。     名詞 → 独立した物事の属性   動詞 → 独立した物事間の関係 ここまで来ると、形容詞、副詞の位置づけも考えたくなってきます。おやおや、MECEじゃないですか。代表的な4大品詞での分解になってきました。  形容詞は名詞を修飾しています。言い換えると、名詞の示す領域を狭めよりその意味を鮮明化します。また、独立した物事の性質を示しています。性質はとりもなおさずその物事の属性を示しています。   形容詞 → 独立した物事の属性 とすると、「名詞 → 独立した物事の属性」と重複してしまいますね。おやおや、MECEでいうところのダブリが出てきましたね。そこで、名詞の位置づけを再検討してみましょう。 今までの考え方を文の構造に当てはめると、名詞が複数あった場合、それらの名詞を関係付けるのが動詞であると考えられます。そうすると、名詞は文の構成要素であると考えられます。動詞はそれらの構成要素を関係づけていることになります。この考え方で、もう一度整理しなおすと、   名詞  → 独立した物事の要素   形容詞 → 独立した物事の属性   動詞  → 独立した物事間の関係 となります。そして、副詞ですが、副詞は動詞を修飾するのですから、関係の属性となるのでしょうか?   名詞  → 独立した物事の要素   形容詞 → 独立した物事の属性   動詞  → 独立した物事間の関係   副詞  → 独立した物事間の関係の属性 となります。しかし、形容詞と副詞の位置関係が少し合いませんね。そこで、次のように解釈してみたらいかがでしょうか?   名詞  → 「独立した物事自体やその要素」   形容詞 → 「独立した物事自体やその要素」の属性   動詞  → 「独立した物事間の関係」   副詞  → 「独立した物事間の関係」の属性 これで、なんだかすっきりしてきましたね。この仮説を認めるとすると、類推のときに似ていると判断するフレームワークは   ・それ自体やその要素が似ている   ・それ自体やその要素の属性が似ている   ・関係が似ている   ・関係の属性が似ている になると考えられます。しかし、「それ自体が似ている」というのは、似ている判断の結

2枚の写真

 「状態」と「動作」ですか。その表現を読んで、あるイメージがわきました。そのイメージとは、「状態」は1枚の写真に写っている2つのものの関係をあらわしている、「動作」は、時間をおいて連写した2枚の写真の間にある関係をあらわしているというイメージです。  たとえば、「因果関係」の場合は、「結果」が今の写真だとすれば、「原因」は過去の写真、その2枚の写真の間に「原因→結果」という関係がある。あるいは、「目的と手段の関係」の場合は、「手段」が今の写真だとすれば、「目的」はより未来の写真、その2枚の写真の間に「手段→目的」という関係がある。2枚の写真の間にある時間を意識することで、「動作」系の関係は、より正確に扱えるようになるかもしれませんね。

関係の分類

 koppeさん、私も概ねその解釈で問題ないと思います。ところで、太郎さんと次郎さんの類似の引用ですが、そこで書かれていることを元に「関係」を一度紐解いてみたいと思います。  まず、文中の登場人物の太郎・次郎の類似性より「撫でた」が共通であるという類似性のほうが高く認識されるとあります。これは、「太郎・次郎」という登場人物が該当文の属性として存在し、属性の類似性で当たる。また、「撫でた」は登場人物間の関係を表し、関係の類似性に当たる。ということが原因であると説明されています。  これを「太郎・次郎」を名詞、「撫でた」を動詞と見ると、文において、名詞はその属性を、動詞はその関係を表すと言い換えられます。ここで、「関係」=「動詞」という概念を構築することができます。もし、そうだとすれば、「関係」の種類は大きく分けて2種類あるといえるのではないでしょうか?  それは、状態と動作です。動詞の用法にたいするこの状態と動作の違いは高校英語で学ばれたことだと思います。動詞の分類の仕方にはいろいろありますが、英語では、同じ動詞であっても、状態か動作かでその文の構造や日本語に訳したときの意味が異なってきたと思います。それほど大きな分類なのだと思います。したがって、この動詞にとって大きな分類である状態と動作を「関係」そのものの分類に当てはめてみたいと思います。  まず、そもそもの「関係」の意味を私なりに定義してみます。関係とは 「人間の意識の時空間の中において、独立した物事が複数存在するときのそれらの間の相対的な位置づけを表している。」 とします。この解釈にあまり異存はないと思います(少し強引過ぎるでしょうか?)。  そこで、この定義に「状態」を当てはめて見ます。すると、いろいろ言葉が出てきますね。    前後、上下、左右、遠近、内外、天地、表裏 ・・・・・など 対概念の言葉として続々と出てきます。そのうちのかなりの言葉の後に関係と言葉をつけることができますね。「関係」という言葉を後に付けて違和感がるか否かの違いはその言葉の発生頻度の違いに比例しているように思われます。  次に、この定義を「動作」に当てはめてみます。すると、時間の経過を伴いながら、「変化前」と「変化後」が必ず存在することが分かります。この変化は、対象となる物事の間で片方向に作用するものもあれば、双方向に作用するものもあ

たとえば因果関係

 mokurenさん解説ありがとうございました。とりあえず、こんな風に理解しました。間違っていたら指摘してください。 以前、関係を以下のように表現しました。 (対象A)[a]-<関係X>-[b](対象B) この関係が別の対象Cと対象Dの間で成り立っているとします。 (対象C)[a]-<関係X>-[b](対象D) 「対象が関わる関係の類似性」とは、 この2つの例で左右にある「(対象?)」の部分ではなく、「[a]-<関係X>-[b]」の部分、つまり対象の間をつなぐルールのようなものが類似しているということを言ってるんですね。  ところで、引用文の中に「対象が関わる関係の類似性」が類推を促進するという記述がありますが、これは、左右いずれかの対象が欠落していても、ルールを当てはめることにより、欠落している対象を見つけ出すことができるからなんでしょうか?  たとえば、問題分析をするときは、問題点を列挙したあとで、問題Aの原因はX、問題Bの原因はYというようにそれぞれの問題に対して因果関係でつながる原因を挙げていきます。挙がった原因に対して、さらにXの原因はx、Yの原因はyというように原因を挙げていき、真の原因を見つけ出します。分析の結果は通常Why ツリーにまとめますが、ツリー上でつながっているノード同士は、すべて因果関係という関係でつながります。これは引用文の説明に当てはめれば、因果関係というスキーマを適用して類推する例ではないかとおもったのですが、どうなんでしょう?

関係の類似性の具体例

 Koppeさんの疑問に答えるために、前回ご紹介した「認知文法の新展開(早瀬尚子、堀田優子 共著)」の引用文の続きをご紹介させていただきます。 ----以下引用----------  この3つの類似性を、言語のレベルで説明してみよう。たとえば、(31)にあげた2つの文で代表されている事象を比べ、どちらが「より似ているペアか」と尋ねてみると、おそらく圧倒的に(31b)のペアに軍配が上がると思われる。  (31)    a.「太郎が次郎を叩いた」 vs. 「太郎が次郎を蹴った」    b.「太郎が次郎を撫でた」 vs. 「次郎が太郎を撫でた」 (31a)では、どちらも太郎が動作主(Agent)で次郎が被動作主(Patient)であり、参与者役割がどちらの事態でも同じ、つまり(30a)に相当する属性レベルでの同一性が見られる。一方(31b)では、太郎が動作主の場合と被動作主の場合とがあり、事態に関わる参与者性は異なる(つまり同一性はない)が、参与者間に成立する「撫でる」という関係は同一であり、(30b)に相当する、関係の強い類似性が見られる。ここで(31a)よりも(31b)のほうがペアとしての類似性が強く感じられるという判断結果が示しているのは、個々の参与者がたとえ異なっていたとしても、その参与者間に見られる関係になにかしら類似性がみとめられれば、それは類推を促進する力となる、と言うことである。つまり、類推において重要なのは、関係レベルでの類似性なのである。  この<太郎が次郎を撫でた>と<次郎が太郎を撫でた>という関係レベルの類似性をさらに抽象化したものが<XがYを撫でた>という高次レベルの関係であり、これが(30c)にあたる。これは、個々の関係事例に見られた特殊性を取り除いた、それぞれの例に共通する構造を抽出したものであり、つまりはスキーマとなる。ひとたびスキーマが抽出されれば、それは新たな事例にであったときにも、関係の類似性を見だせるかぎりにおいて容易に想起されて用いられる。 ----引用終了---------- いかがでしょうか、これで回答になりましたでしょうか?

関係の類似性って?

 mokurenさん、快調にとばしているのに割り込んですみませんが、振り落とされそうなのでちょっと一休みして説明してくれませんか?  「a.対象のもつ属性レベルの類似性」、これは分かります。たとえば、「鳥類」というカテゴリに属する「ハト」や「スズメ」は「羽がある」という属性が類似しているという意味ですよね。 でも、「b.対象が関わる関係の類似性(一次的関係)」「c.一次的関係どうしに見られる高次の類似性(システム・レベル)」はイメージができません。具体例を挙げて説明してもらえませんか?

類推と類似性

 では、逆に、「類似関係」というものがカテゴリの名称であると考えて見ましょう。そこにはどんな成員が考えられるのでしょうか? .....。 となりませんか? そうなのです、どのような成員があるか具体的に挙げられないですよね。  これは、カテゴリというものが類似性のあるものの集合の名称であることからきています。したがって、その観点から考えると、「類似」やそれに相当する概念(言葉)に「関係」をつけることはおかしいということになります。  そこで、この類似という概念をもう少し紐解いてみます。「認知文法の新展開(早瀬尚子、堀田優子 共著)」に次のようなことが述べられています。 ----以下引用---------- 類推とは、あるものを別のものにみたてることである。類推は日常のカテゴリー化に必要な能力であり、抽象的な新しい概念を認識・理解する助けとなる。   ~ 途中省略 ~  類似性という概念が、カテゴリーの成員の認定に際し重要なものであることは、疑いようもない。しかし、この類似という概念は、実は不明瞭である。というのも、どんなものであっても、何かしらどこか似ている些細なところを探し出せるからである。では、カテゴリー認定において要求される類似性とは、どのようなタイプのものなのだろうか。  認知科学における類推研究であるHolyoak and Thagard(1995)に従えば、類推が起こるために本質的に必要とされる類似性とは、次の3つである(Holyoak and Thagard 1995,Ch.3) (30)類推に関わる類似性:  a.対象のもつ属性レベルの類似性  b.対象が関わる関係の類似性(一次的関係)  c.一次的関係どうしに見られる高次の類似性(システム・レベル) このうち類推において重要視されるのは(30a)の「属性レベルの類似性」よりも、(30b)の「関係の類似性」もしくは(30c)の「高次レベルの類似性」である。つまり、属性そのものより関係の類似性が、類推を促進する動機となるとされている。 ----引用終了----------  このことを逆に捉えると、類推を促進するための思考過程において「関係」という概念が必要であると言えるのではないでしょうか? (続きは次回へ)

関係とカテゴリ

 まず、koppeさんが挙げた「関係」というものを、ここでもう一度整理します。   ①親子関係   ②友達関係   ③類似関係 の三つですね。  基本的に、カテゴリが③類似関係にあてはまることは容易に理解できると思います。逆に、①親子関係や②友達関係は、カテゴリとあまり関係が無さそうに見えますね。③類似関係については、前回書いたように古典カテゴリ観やプロトタイプカテゴリ観で説明できます。しかし、①親子関係や②友達関係は、その考え方ではカテゴリという概念に直接当てはめることができませんね。  そこで登場するのがスキーマカテゴリ観です。まずスキーマを辞書(goo辞書:三省堂提供「大辞林 第二版」)で確認してみましょう。  スキーマ【schema】  (1)データベースで,論理構造や物理構造を定めた仕様。  (2)新しい経験をする際に,過去の経験に基づいて作られた心理的な枠組みや認知的な構えの総称。  ここではコンピュータの話をしているわけではないので、まず(1)を外します。そして、分かりやすくするために、(2)の「過去の経験に基づいて作られた心理的な枠組みや認知的な構えの総称」を「過去の経験に基づく何らかの規則」と読み替えます。  するとどうでしょう、①親子関係や②友達関係はこの規則の名称になってくるのです。  したがって、親子関係というカテゴリがあり、その成員の一つとして「徳川家康と徳川秀忠」が存在します。また、友達関係というカテゴリあり、その成員の一つとして「花子さんと太郎さん」が存在することになります。 (続きは次回へ)