動作と状態の公理?

 Koppeさん、話題をしばらく引っ張って入ってくれてありがとうございました。「登録・削除」「参照・更新」の話題をだされてから、それに違和感を持ち、その理由がすぐに言えなくなって今日までたってしまいました。それに対する私の意見がやっとまとまってきたのでこれから書きます。

 「登録・削除」「参照・更新」の区別は確かに「データの存在自体を変更する」、「データの存在自体は変更しない」で分けることはできます。しかし、どうもすっきりしないのですね。理由はどうも「登録・削除」は反対の意味での対義後であるにもかかわらず、「参照・更新」はそうなっていないところにあるような気がします。
 まず、「登録・削除」を分析してみましょう。これは動作動詞の名詞形ですね。これをもっと抽象化して表現すると「存在するようになる」「消滅する」と言い換えることができます。そうしますと、あれあれ、それらの動作をつなぐものは何? っていう疑問が頭に浮かびませんか? そうなのです、「存在しない」、「存在する」と言う状態がありますよね。
一般的に、反対の意味の動作の対があるならば、その動作の間に、その結果としての反対の意味の状態の対が存在します。
 
上の例では

「存在するようになる(動作)」
  ↓
「存在する(状態)」
  ↓
「消滅する(動作)」
  ↓
「存在しない(状態)」

となります。
 このような4つの関係は特に数学でいうところの公理と同じ位置づけとしてよいですよね。この世に存在するすべての「もの・こと」に当てはまることですから。
 では、この関係を「登録・削除」「参照・更新」にあてはめてみましょう。

「存在するようになる(動作)」―――→ 登録
  ↓
「存在する(状態)」―――――――→ 参照・更新
  ↓
「消滅する(動作)」―――――――→ 削除
  ↓
「存在しない(状態)」――――――→ ?

 「参照・更新」はkoppeさんの「データの存在自体は変更しない」の表現を尊重して「存在する」に当てはめてみました。そうすると、「存在しない」にたいして当てはめるものがないのですね。このことをどう考えればよいのでしょうか?

続きは次回に書きます。

コメント

このブログの人気の投稿

ヌケとモレの違いは?

類推の4つの判断パターン

パターンを洗い出すには