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演繹法と帰納法

 mokurenさん、「関係と分解」は人間の頭の中の出来事、「具体例」は現実世界の出来事、確かにそうですね。それにしても、昔の「中国の百科事典」の動物の分類にはびっくりさせられました。昔は人間が直接接することのできる動物が動物のすべてだったということが関係しているのか、人間との関わりという観点で分類しようとしたように思えます。  ところで、mokurenさんの記事に「この二つの「例」の使われ方、結局、前者が演繹法であり、後者が帰納法であると言えるのではないのでしょうか。」という記述がありますが、これには少し違和感があります。  というのは、一般に「演繹法とはすでに得ている一般論(もしくは信ずる価値観)をある事象に当てはめて、その意味するところを必然的に引き出す、いわゆる三段論法的な論理展開のこと」、「帰納法とは、観察されるいくつかの事象の共通点に着目し、一般論(共通して見られる法則性)を導き出すという考え方」というように説明されています。(参考:「問題解決力」を高める思考スキル)  つまり、帰納法は「いくつかの事象の共通点に着目」するので、いくつかの事象である「例」が複数必要となるということになります。しかし、私の記事では「例」は1つしか挙げていません。ここでの「例」の使い方は「1つの具体的な事象を詳細に分析して、構造を明らかにし、その構造が他の例に適用できるかどうかを検証」しているので、厳密にいうと帰納法とはちょっと違うのではないかと思うのですが、いかがでしょう?

「関係と分解」は人間の創造物?

 確かに、推論が初めにあってそれを補強するための事実としての「例」を挙げるときに使われるだけでなく、koppeさんが指摘したように、「例」という事実を手がかりにして推論を組み立てる場合もあるよね。でも、この二つの「例」の使われ方、結局、前者が演繹法であり、後者が帰納法であると言えるのではないのでしょうか。どちらの捉え方をしても、「関係と分解」が推論かつ未来時制であり、「例」が事実かつ現在完了時制であることには変わりはないと思います。  また、関係と分解は人間の頭の中の出来事であって、そのままでは人間の頭の外界とはまったく無縁のものが構築される可能性があると思います。逆に言うと、外界と関係ない概念(関係と分解)が構築できること自体はすごいことだと思います。無から有をいくらでも作り出せるんだから。だからこそ、「例」というもので人間の頭の外界と結びつける必要があるのではないのでしょうか。  ちなみに、この「関係と分解」が人間の頭の中で外界と関係なく行われることの具体例を挙げてみましょう。 M・フーコーという哲学者が「言葉と物」と言う本の中で、昔の「中国の百科事典」(この百科事典は一説によるとボルヘスという人の創作という話もありますが)にはこんな動物の分類があったということを紹介しています。 動物の分類:   皇帝に属すもの   芳香を放つもの   飼い慣らされたもの   乳呑み豚   人魚   お話に出てくるもの   放し飼いの犬   この分類自体に含まれるもの   気違いのように騒ぐもの   数えきれぬもの   騾馬の毛の極細の筆で描かれたもの   その他   今しがた壷をこわしたもの   遠くから蝿のように見えるもの 分類というものは、関係と分解によって体系化されたものだと思いますが、このような分類を現在において真顔で言うと笑われてしまいますよね。でも、当時は最高級の学問だったんですよ。分類が時代とともに変化していることがわかりますね。脳の外界にある動物というものはほとんど変化していないにもかかわらずこれだけ分類の仕方が変わっているのです。この例を見ても、関係と分解が外界の事実とは無関係に人間の頭の中で定義されていることが分かりますよね。

「例」のもうひとつの使い方

 mokurenさん、面白い紐解き方ですね。「例」の反対は「推論」ですか。例は、聞く人が見知っているものである必要がありますから、聞く人にとって「事実」と思えるものでないと、「例」としての目的を果たせないですね。  説明のときに説明した内容が相手に「推論」と受け止められている可能性があるとき、「例」という事実で「推論」を補強する。確かにこのような使われ方は多いですね。でも、例の使われ方はそれだけではないような気がします。  たとえば、「2006年05月14日 これは一体何MECE?」の記事では、”たとえば「伝票を顧客にFAX送信する」というような機能を実現するための仕組みを明確化するには”と、まず、具体例の説明から入っています。つまり、何かを解明しようとするときに、手にとってみられる「例」という「事実」を手がかりにして「推論」を組み立てる。このような使われ方も多いのではないかと思いますが、mokurenさん、いかがでしょう?

「例」ってなに?

 「関係と分解と具体例」、関係と分解については、それなりに議論してきましたね。いよいよ具体例について検討すべきときがきたようですね。でも、koppeさん、これは奥が深いですよ。  まず、具体例の形容詞を取り去ると当たり前ですが例になりますよね。ある言葉が存在すると言うことは、その言葉とそれ以外を区別するために存在する。この表現は、今まで2対言葉として議論してきて公理1と定義したものの言い換え表現です。  では、この「例」という言葉は例と何を区別しているのでしょうか? 例を反対語辞書等で調べてもその反対語はありませんね。そこで、自ら例とその反対を定義してみましょう。そのために、まず、「例」の意味をさらってみましょう。 --- 以下、「例」の意味をGoo辞書(三省堂提供「大辞林 第二版」)より抜粋 ---- (名) (1) 相手に類推させるために、同種類の事柄の中からよりどころとして特に取り上げて提示するもの。 (2)判断の基準やよりどころとなる過去の事柄。先例。ためし。 (3)以前から世に行われている事柄。しきたり。ためし (副) いつも。つねづね。 -------------------  これらの説明の共通項として言えることは、事実であり、時制でいうと現在完了、または、いつもを意味する現在形の表現で語られるものであることが分かります。  これをここでの「例」の定義としましょう。すると「例」の反対は事実でないものであり、時制でいうと未来と言うことになります。これに該当する代表的な言葉を挙げてみましょう。そうですね、「推論」と言う言葉がありますね。  「例」とは、「事実」のことであり、その反対は「推論」であると定義することにしましょう。このように定義してみると面白いことが見えてきます。 「関係と分解」と「具体例」の関係ですが、具体例が事実に当てはまるとすると、「関係と分解」は推論に当てはまることになります。  よく人が人に説明するとき、最後に「たとえば」を付け足したくなる、または聞きたくなるのは、その説明が無意識の中で推論と受け止められているからなのではないのでしょうか? だから、その推論に当てはまる事実を言いたくなるし、知りたくなるのではないのでしょうか? この観点でコミュニケーションを観察してみると面白いものが見えてくると思います。

滑り込みセーフ

 先日、お客様に対するヒアリングの結果をまとめた業務フローをお客様に確認していただくためのレビュー会を実施しました。  ヒアリング結果のアウトプットの評価は、ヒアリング対象者から聞いたことをどの程度理解して表現できているかによって180度変わります。相手が「私のしゃべったことをかなり理解してくれている」と思ってくれれば、あとの間違いは機嫌よく指摘して直してくれます。しかし、「せっかくしゃべったのに、ほとんど理解してくれていない」と感じると、「一体何を聞いてたんだ!」とクレームになってしまいます。  今回の仕事では、私はヒアリング全体の取りまとめを担当しており、ヒアリング結果から業務フローを作成する作業は別の組織の2人で分担していました。ところがレビュー会の4日前にふたを開けてみると、内容は惨憺たる状態でした。書き方が分からないのではなく、聞いたことを理解していないので、何を書いていいのかわからないか、書いた内容があっているか違っているか分からないという状態だったのです。2人とも、私とまったく同じ内容を聞いているにも関わらず、です。一時はレビュー会で玉砕することも覚悟しましたが、レビュー会の前2日間、缶詰状態で2人が私の説明を口述筆記するというやり方で、何とかぎりぎり玉砕を回避することができました。  私と業務フローが書けなかった2人の違いは何なのでしょうか?なぜ、私とまったく同じ内容を聞いていながら、理解した内容にこれだけの差ができてしまったのでしょう?  私は、ヒアリング結果のアウトプットである業務フローのイメージをヒアリングする前から持っていました。そして、業務フローのイメージを頭の中に描きながら、頭の中で描ききれない部分はメモにイメージを書きながら相手の話を聞いていました。業務フローのどこに箱を置けばいいか分からないところや、どう線をつなげばいいか分からないところはその都度確認し、それが描けたところは「理解した」と自分で確認しながら聞いていたのです。  しかし、業務フローをかけなかった2人は、ヒアリング結果のアウトプットとしてどのようなものをどのレベルまで作らなければならないかという明確なイメージをもっていませんでした。また、それを作るのに十分なだけ、自分たちがヒアリングの内容を理解したかどうかを確認する手段を持っていませんでした。言葉を聴いて

具体例の種類

 「2006年04月15日 第3のより良く分かる方法は?」の記事で、第3の「対象をよりよく分かる方法」は「たとえば」または「たとえると」なのではないか書きました。その後mokurenさんがそれらを「具体例」と定義してくれましたね。  「例えば」と「例えると」は、漢字も意味もよく似ているように思えますが、使い方を見てみると2つには大きな違いがあります。  「例えば」は、ある分類に属する具体的な対象を挙げる場合に使います。「高級車には、例えばBMW、ベンツ、アウディ、セルシオがあります。」というような使い方です。  「例えると」は、あるものの性質や機能など言葉だけでは理解しにくいものを、まったく別の何かに当てはめて説明するときに使います。こちらのページの中で、「人間で言えば」、とか「食べ物で言えば」がこの使い方に当たります。  ところで、「2006年04月18日 具体例の挙げ方」の記事の中で露出の説明を具体例の例として取り上げましたが、これはどちらかと言えば後者の使い方です。ただし、何か1つだけを例えているのではなく、構成する個々の要素どうしの関係も含めて全体を丸ごと例えているところが違います。  ということで、具体例の種類には、この3種類があると思うのですが、mokurenさんはどう思いますか?

お次は具体例

 なるほど、2対言葉の分類軸は分類されたもの同士が反対関係であることを示している、ということですね。それなら納得できます。  ここまで「関係」と「分解」に関してかなり議論を重ねてきました。でも、「具体例」に関してはまだあまり議論していません。そこで、次回からは「具体例」をテーマにしてはどうかと思いますが、mokurenさん、いかがでしょう?

分類軸と関係

 そう言われても、やはり分類は「関係」を表しているとしかいいようがないのですが。  今回の例で、分類軸に該当するものは「官民」と社会への「出入」の二つですよね。この二つの2対言葉をよく考えてみてください。反対の関係になっていませんか。2対言葉は、これらの例に限らず一般的に、人間の持つ反対の関係の概念を言葉にしたものだと思います。  したがって、「前後」は前後関係だし、「上下」は上下関係ですね。なぜこれが関係として成り立つかを聞かれると困りません? これらの2対言葉は人間の持つ反対の関係の基礎概念だからだと思います。ユークリッド幾何学にたとえて言うなら公理にあたると思います。  ところが問題は「官民」など、「前後」や「上下」などと比べて普段あまり使われていない2対言葉はどうしても官民関係とはいいづらいですよね。これは、「前後」や「上下」が自然に与えられた人間の外界人間が認識するための基本的概念であるのにたいして、「官民」は人間がみずから作り出した概念、つまり、応用概念であるがゆえに関係とは言いづらいのではないかと想像しています。  逆にその違いが単なる人間の言葉に発する習慣性の違いにしか過ぎないと割り切ってしまえば、すべての2対言葉は○○関係と言うことができます。反対関係のより具体化した関係を表しているといえます。  「官民関係」「出入関係」「山海関係」・・・・・・  普段、これらの2対言葉は関係をつけて一般的に表現されていないので、最初は違和感があるかもしれませんが「上下関係」や「前後関係」と同じように「反対関係」をより具体化したものであることは間違いありません。その意味で、4象限MECEでの分類軸は関係を表しているといいました。  ちなみに、4象限MECEでの分類軸の基本の考え方は反対関係で分類することであり、それをより詳細化した2対言葉で分類軸をつくることがポイントになりますが、反対関係と言った瞬間、反対関係以外のものが存在するのではないかと閃きませんか?  「反対」の反対は「同じ」ですよね。この「同じ」と言う概念をキーワードに××関係なる言葉を捜してみませんか? 面白いものが見つかるかもしれません。それが4象限MECEとは別の新たな認識方法を見つけ出す糸口になるかもしれません。