「参照」の異なる二つの意味は合わせ鏡

 こうしてみると、この「参照」だけは、「登録・更新・削除」とどうも位置づけが異なるように思えます。
 このことに関しては、水隅さんからもゲストブックのほうで指摘(詳細は「知的生産性探求塾ゲストブック」を参照)をいただいておりますが、私なりの解釈をここで表明させていただきたいと考えております。
 
参照するという動作はそもそも何のためにするのでしょうか?

・一つは、今まで議論してきた、存在するか否かを認知するためにするということ。
・もう一つは、ある何かをするために必要な情報を手に入れるためにするということ。

 この二つはレベルが違いますね。ある情報を手に入れようとしてその情報を参照するためには、その情報が存在することを予め知っておく必要があります。そして、この予め知っておくということは、それが存在するか否かを参照して知ることができます。
 しかし、その情報が存在するか否かを参照するためには、その情報が存在することを予め知っておく必要があります。おや、話がややこしくなってきましたね。このまま話を進めると無限の繰り返しになってしまいますね。二つの異なる参照の意味はまるで合わせ鏡のようです。
 「登録・更新・削除」に関しては、合わせ鏡になるような異なる二つの意味が存在しないと思うのですが、間違っているのでしょうか?koppeさん。

 このような観点から見ても、「参照」は「登録・更新・削除」と同じレベルに扱ってはいけないものなのではないのでしょうか? 一見、コンピュータの世界では「登録・更新・参照・削除」は4対言葉として一般化しており、マーケティングの4Pと同じような位置づけで使われています。しかし、突き詰めて考えると、「参照」は「登録・更新・削除」とは別のMECE的分類軸であると解釈したほうがよさそうです。

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