「全体と部分とそれ以外」

 仕方がないので、私のほうで検討を一つ進めます。でも、すでにkoppeさんが言っていることなんですよ、検討すべき内容のスタートは。

 まず、MECEでの「モレなし・ダブリなし」に行き着く前に、絶対しなければならないことがあります。それは分解です。簡単に言い換えると「分ける」と言うことです。このことについては、今まで検討してきたと思います。
 ではその分解ですが、それに対する最も簡単な思考法はなにになるのでしょうか?それは、「それとそれ以外」に分けることです。この思考法は日常頻繁に使われている思考法なんですね。それは、言葉そのものがその思考法のために存在するみたいなものだからです。
 たとえば、「みかん」という言葉があります。この言葉存在するだけで「みかん」と「みかん以外」を区別することになります。このことは普段意識はほとんどされていませんが、よくよく突き詰めて考えると言葉、特に名詞に関してはそのために存在しているといっても過言ではないのではないでしょうか。
 まず、この「それとそれ以外」を基本形とします。この基本形を忘れないでください。あまりにも当たり前すぎて、常に意識しておかないとすぐこの基本形は忘れ去られます。

 次に、検討すべきことは「それ以外」です。先ほどの「みかん」を例にすると、「みかん」以外は無数にあります。自動車、キリン、海・・・・・。一体「みかん」以外はいくつ存在するのでしょう。無限大に存在しますね。 ところが、りんご、バナナ、イチゴ、とくれば何か無限ではなくなりそうな気がしませんか。そうなんです。この場合は「果物」という「みかん」という言葉で現される概念の上位概念、言い換えると抽象化された概念が存在し、りんご、バナナ、イチゴ、はその「果物」という言葉の概念の中にすべて存在するからなのですね。
 自動車、キリン、海・・・・・、となると、「この世に存在するすべてのもの」がその上位概念となってしまいます。これでは無限にあると言っているのと同義語になってしまいます。「それ以外」を有限にするための全体の概念(言葉)を定義する必要があります。
 したがって、基本系の次に考えなければならないことは、ある範囲を全体と定め、その範囲内において「それとそれ以外」を突き詰めること、言い換えると「この範囲において、それとそれ以外」に思考の枠組みを広げる必要があります。この「ある範囲」のことを全体、「それ」を部分と表現し直すと「全体と部分とそれ以外」ということになります。

 しかしよく考えると、このことは、MECEの逆の考え方をしているだけにしか過ぎないように思われます。MECEは「この範囲」がすでに存在してそれを分解しようとするからです。
 しかしながら、この一方通行の考え方で未知なる上位概念とその下位概念を導き出すことはできるのでしょうか? 先ほどの果物とみかんの関係のようにすでに、それ自体がすでに体系化されているものはMECEの思考法で「モレなし・ダブリなし」に分解可能です。
 しかし、それが体系化されていない、未知なる上位概念とその下位概念の関係を導き出すためには、その逆の方法が必要です。 「それとそれ以外」を一度思考し、もともとのMECEで分解しようとした言葉自体が「この範囲」に当てはまるか否かの検証を進める「全体と部分とそれ以外」の思考が必要ではないのでしょうか?

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