「そもそも」の勧め

皆さんは普段「そもそも」という言葉を使っていますか?

「そもそも」は辞書には以下のように説明されています。
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そもそも 1 【▽抑/▽抑▽抑】


〔「そも」を重ねた語。古くは漢文訓読に多く用いられた〕
(1) (名)
(物事の)最初。起こり。どだい。副詞的にも用いる。
「―は僕が始めたものだ」「―の始まり」
(2) (接続)
改めて説き起こすとき、文頭に用いる語。いったい。だいたい。
「―、事前調査の不備がこのような事態を招いた」「―私の今日あるは彼のおかげだ」
(三省堂提供「大辞林 第二版」より)
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つまり、「そもそも」は、時間における起点が何かを表現するときの言葉なのです。
起点には、過去の起点と未来の起点の2つがあります。
過去の起点とは、「真の原因」、未来の起点とは、「真の目的」です。


話はかわりますが、昔、アメリカに行ったときのことです。初めて行った時には、見るもの聞くものすべてが日本と違っていて、毎日へとへとに疲れてしまいました。でも2度目に行った時には、もう以前行ったときと同じところは気にしないようになっていて、ずいぶん楽になっていました。皆さんも新しい職場に変わったり、新しい場所に引っ越したりしたときに似たような経験をしているのではないかと思います。
変化しないものを情報処理の対象からはずす、というのは、日ごろの情報処理を効率化するための人間の本能でありすばらしい能力なのです。
だから、変化しないものが見えなくなるのは人間としてごく自然なことなのです。


「現在」に比べると、過去の起点である「真の原因」も未来の起点である「真の目的」も遠く離れていてほとんど変化しません。
だから、自然にまかせると「真の原因」も「真の目的」も人間の本能によって見えなくなってしまうのです。

本能にさからうには、流れ落ちる水をくみ上げるように、意識して行動することが必要です。
では、どのように行動すればいいのか?
簡単です。普段の会話で「そもそも」を使うようにするだけです。
「そもそもこうなった原因はなに?」「そもそもこれは何のためにやってるの?」というように。

「そもそも」は、頭の中の世界で、足元ばかりを見て歩いているとき、顔を上げて遠くを見るための言葉です。
進んでいる方向があっているのかどうかは時々顔を上げないとわかりませんよね。
会話の中の「そもそも」を意識して増やしてみてください。
きっと何かが変わるはずです。
いったい何がどのようにかわるのか?は、あなた自身で確かめてみてください。

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