記事を書けなくなったわけ

 そもそも、このブログを書き始めた動機は、自分の所属している組織の知的生産性を上げたいというものだった。
しかし「知的生産性」を掘り下げていけばいくほど、個人の子供のころの育ち方や人生に対するスタンスにまでさかのぼってしまい、後から訓練で何とかなるような代物ではないという思いが強くなった。
なんども育成に挑戦してみたが、育成できない原因ばかりが明らかになり、育成なんか無理なのではないかと途方にくれてしまったとたんに、記事が書けなくなってしまった。

 1年前、新しい仕事で新しいメンバとチームを組むことになった。新メンバのリーダは、今までで明らかになっていた育成できない原因は持っていないように見えた。だから、彼を育成できなかったら、もう私に育成できる人はいない。そのときは今後育成をきっぱりあきらめようと覚悟した。
 そうして一緒に仕事をし始めて3ヶ月、なかなか変化は見られなかった。
 やっぱりだめなのか、もうあきらめようかと思った矢先に、彼は突然芽をふいた。自分に今出来ないことは出来ないと素直に認めて、それでもいくべき場所に向かって自分にできることは全力でやり、できないことはなりふりかまわず助力を求めるようになったのだ。それからは、まるで若芽のようにぐんぐんと成長し始めた。おかげでまた私は育成をあきらめるわけにはいかなくなったわけだが。

 彼はいま、自分の部下達の育成に真剣に悩んで取り組んでいる。
 彼が次々と衝突する課題を一緒に議論しているうちに、育成対象者が今いるレベルにあった訓練方法があるのではないかという気がしてきた。
 たとえば、エアロビクスの初心者は、模範演技をどれほど真剣に見て真似しようとしても、いきなり複雑な振り付けを覚えて音楽にあわせて踊るなど絶対に無理である。しかし、初級クラスでごく簡単なラジオ体操のような振り付けを音楽にあわせて踊るところから始めて、それができるようになったら、中級クラス、上級クラスと順次ステップアップしていくことで、ある程度までは難しい振り付けが踊れるようになる。
 思考法もこれと同じようにレベルに合わせた訓練によりステップアップが可能なのではないだろうか?そのための具体的な方法を見つけることは簡単ではないけれど、可能なのではないだろうか?と思えるようになってきたのである。

 貴重な仲間が増えたことだし、彼と共に、もう一度、知的生産性向上にチャレンジしてみるかと思っている今日この頃である。

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