わかったつもりの観察法?

「わからない」と「わかった」の間にある「わかったつもり」、こいつが曲者ですよね。この3つの状態の違いは、外から見て観察できるのでしょうか?「わからない」状態のとき、人は調べる、聞くなど、わかるための行動をとります。「わかった」状態のとき、わかる前の状態に比較すると、ある条件下での行動が変化します。
 「わかった」ら、たとえばどんな風に行動が変化するのか。以前私の父がこんな話をしてくれました。
 近所のおばさんのご主人が、アルツハイマー病にかかってしまいました。それからそのおばさんはずっと
「困ったことになった。なんで私だけがこんな目に」と人に会うたびにこぼしていました。
 ある日、父がそのおばさんに言いました。「アルツハイマーは残念ながら進む病気。でも今ご主人は自分で身の回りのこともできるし、散歩もできる。いま、そのことを幸せだとおもわずに、後になってあの時は幸せだったのに、といくらいっても取り返しがつかないですよ。」
 それを聞いたおばさんは、「そうですね、今は幸せなんですね。」と返事をして帰っていきました。
 以後、そのおばさんは愚痴を一切言わなくなったそうです。おばさんは、自分にとっての幸せとは何かが「わかった」ので、そのあとの行動が変化したのでしょう。「わかった」らこれぐらい劇的に行動が変化するのです。
 では、「わからない」と「わかった」の間にある「わかったつもり」だとどうなるか。わかるための行動もしないし、わかったことによる行動の変化もない。外からみて行動が何も変化しないのが「わかったつもり」なのではないでしょうか。

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