知的生産性が0になる三つのゴール

 細部は異なるかもしれないけれど、だいたい同じような感じかな。特に(1)、(2)については、ほとんど同じじゃないかと思う。(3)、(4)は試行錯誤している感じが強い。それでも、自分の頭の中にストックみたいなものがあって、それをとっかえひっかえ取り出してきてはパズルをはめ込んでいる、そんな感じかな。それで行き詰ると人に相談する。 
 でも、このような作業をすることになって「わかりました」と言ってアウトプットがほとんどでてこなかった人に、「なぜ?」と何回も問いかけその理由を確認していくと、まず、(1)や(2)の観点がほとんどない。 あるべきアウトプットの姿があるものだと思い込み、いきなりその思い込みに向かって闇雲に走り続けているような感じなんですね。
 この場合、結果としては大きく分けて二つパターンがあるように思えます。 一つ目は、思い込みというゴールに向かって走り続けたけど、そのゴールが明確にならずアウトプットができなかった、というパターン。二つ目が、その二つ目が、思い込みのゴールが明確になりゴールに到達したが、そのアウトプットがまわりの期待していたものと大きくずれてしまっていた、というパターンです。
 また、一つ目はその過程を分解すると、一生懸命ゴールと思われるものに向かっていき力尽きるパターンと、ゴールと思われるものに向かって進もうとすること自体を先送りするパターンの二種類がある。それらにあえて名前を付けると、

 ・ 思い込みのゴール(周りの期待とは異なる自己中心的なゴール)
 ・ 幻のゴール(遠くからみるとゴールに見えていたものが近づくとそうではないとわかるゴール)
 ・ 授かりのゴール(時間が経過するとそのうち見えてくるというゴール)

 これら三つのゴールへ向かうことは、ある経過時間の範囲において問題はないと思います。そもそも、その状態存在しないと、新たな発想は生まれてこないじゃないかと思います。しかし、いつまでもその状態であれば、知的作業におけるアウトプットが「意味をなさない」、もしくは「ない」といた知的生産性が0の状態に陥ってしまうのではないのでしょうか。
 結局、これらの頭の中にある三つのゴールの状態をいかに早く脱却し、周りの期待と同じ意味のゴールとして明確化できるか、それが知的生産性を向上させる大きなキーであるように思えます。

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