対談:わかったつもり状態は自己判定できないのか

mokuren :
 ここまでは、「わかる・わかない」から「わかったつもり」を紐解き、それが外界からみてどのように判断できるのかを検討し、一つの結論を得たよね。
koppe :
 結論というと?
mokuren :
 自分では、「わかったつもり」の状態であることが判断できないことです。
koppe :
 そうですね。 でも、プロの作家とかは、ちゃんと自分のアウトプットすべきもののレベルを知っていて、それに向けていろいろ調べたりしてるよね。その作業の中には、わかったつもり状態は存在しないのかな?
mokuren :
 そこなんです。いわゆる、その道のプロとか、もっと身近に言えば、あの人はできる、っていえるような人は、別に第三者からのチェックがなくてもわかった状態で知的作業をはじめていますよね。それが、いままでの検討の結論と異なっている。
koppe :
 何がちがうのかな?周囲の期待レベルをいちいち測らなくてもプロとして期待されているレベルというのを知っている?
mokuren :
 そうなんだと思う。自分の「わかった」という意識とは別にもう一人の自意識があって、その意識が第三者となって本来要求されている水準で、本来の意識である自分の「わかった」という状態をチェックするというような感じかな。
koppe :
 もう一人の自意識が、以前の話題で出てきた絶対値に近い基準値を与えてくれるのかな。
mokuren :
 そのような気がする。ただし、その絶対値も本当の意味での絶対値ではなく、経験に裏打ちされた、ここまでわかっていれば問題ない、という意味での絶対値だと思うけど。
koppe :
 じゃあ、わかったつもりを自己判断しようとしたら、自分の中にここまでわかっていれば問題ないと判断できるもう一人の自意識をつくらないといけないってこと?
mokuren :
 そうだと思う。逆にそうであれば、「わかったつもり」の状態にあることを第三者にしか判定できな人も、「わかったつもり」の状態であることが自己判定できる人も、その判定の方法は同様に考えることができる。
koppe :
 同じ判定を自分の中でやるか、第三者がやるかの違いだけ、ってこと?
mokuren :
 そういうこと。
koppe :
 じゃあ、同じ判定っていうのは、どんな判定なんだろう?
mokuren :
 それはまだわからない。でも、第三者がどのように自己判定できない人の「わかったつもり」を判定しているか。それを紐解けば、自己判定への道も開けてくるんじゃないのかな。
mokuren :
じゃあ、この後はそれを次のお題にしましょう。
koppe :
了解。

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