似たような話

そのことに似たような話は、養老孟司さんの「バカの壁」にも書かれているよね。冒頭の方に出てくる出産の話が印象に残っている。医学生に出産のビデオだったかなそれを見せて感想を述べさせると、男子学生は本に書かれているような通り一遍の感想しか言わないが、女学生に述べさせると非常に細かい個性ある感想がたくさんでてきた、とういうような話だったと思う。同じ情報を入手したにも関わらず、受け止め方というか、わかったレベルというか、それが大きく異なる。
 また西林克彦さんの「わかったつもり」でも、小学生の国語教科書の抜粋からの文章にたいして、通り一遍読んだだけのわかった状態と、いろいろな観点からその書かれた内容を精査した後のわかったレベルの違いが書かれているよね。これなんかも、そのおばさんの行動の変化に通じるものがあるんじゃないかな。
 おばさんの例ではアルツハイマー病というものを起点にした問題をどのように解釈するかというときの比較基準が変わったのだろうし、出産の例に関してはその関心度の違いから女学生の方がより細かい分解をしたんだと思う。また、小学生の国語の文書の解釈は、筆者が新たな解釈の切り口を読者に与えることによってこんな解釈の仕方があるんだということを、気付かせてくれている。
 結局、これら三つとも、解釈のための比較基準、分解尺度の違いや切り口・軸・視点といったものが異なると、同じ情報を得てもわかったというレベルに大きな開きができてしまうことを示しているんだと思う。

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