わかったつもりを検出するための判断基準

「わかったつもりの状態を検出する。」には、確かに検出するための判断基準は何かを考える必要がありますね。人はどんなときに他の人の知的作業にムダを感じるのでしょうか?
 たとえば、ある人が書いた40行の議事録をレビューした結果、修正箇所は2箇所あった。このときは議事録を作成した作業にムダがあるとはあまり感じません。しかし、修正箇所が30箇所だった場合、議事録を書く作業自体がほとんどムダだったと感じる。
 ところが、これが育成中の新人が書いた議事録だと修正箇所が20箇所でも、「新人にしてはよくできたほうだ」と感じて、新人が議事録を書く作業をムダだったとは思わない。
 つまり、仕事においては、知的作業を行う人に対して期待するアウトプットのレベルというのがあって、それとのギャップが、ある閾値を超えると、その人の知的作業にムダが多いと感じる。つまり、個々の人の立場や経験年数などいろいろな要素によって、周囲の人の期待レベルが決定され、ムダの判断基準が変わるということになる。
 加工機械であれば、たとえば、同じ加工機械はすべて「単位時間当たりの加工個数が何個から何個の範囲でなければ異常とみなして自動停止する」という判断を組み込むことができる。 
 知的作業の場合の「わかったつもりの検出」の難しさは、
 ・わかったレベルの判断が人ごとに異なり、絶対値では定義できないこと。
 ・それが作業者本人の基準ではなく、周囲の人たちの期待値であること。
にあるような気がします。

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